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小声の日記(02/26〜03/03)

02/26
火傷痕は新しい皮膚をまとうようになって、保湿だけすれば良い状態になった。傷の経過をすっかり書かなくなったのは、もうそこに意識を向けることがなくなったからなんだろうと思う。あれだけの痛みと心労を伴ったというのに、快方に向かうと都合よく忘れる。

02/27
寒いと思って外を見たら雪だった。昼、どうしてもマクドナルドのポテトが食べたくて、雪ならまあ頑張れるか、と自転車で出たらそこそこの雨になっていた。 雨に打たれて、不機嫌になっていて、それを自覚しているのに、不機嫌になっているときって、なぜか言われてもいない批判を受けている妄想をして自分がどうそれを打ち負かすか、みたいなことを頭の中でずっとシミュレートしている。
「中身濡れちゃってるじゃない」と言われたら「いや行ってないやつが文句言うなよ」と返したらいい、みたいな具合で使わない武器を集めている。そして妄想が肥大化して不機嫌に拍車がかかる。で、実際は杞憂に終わる。
この自動思考、本能でそうなるとしたら、生き延びる上で本当に必要なことなのか疑問だなとおもう。

02/28
過去の嫌な記憶が蘇って、苦しくなり、それに蓋をして、をずっと繰り返している。これが終わる日はたぶん来ないのだろうけど、回数を重ねて「あ〜、はいはい」と開き直れるようになることを願っている。
願っているだけで、映画や本に逃げ込むこともなく、ただじっとするようになった。それでいい、と思う。どうしようもなさの中で漂うのも、たぶんわるいことではない、はず。

02/29
ドリップバッグの試飲をしてみる。思ったより悪くないというか、むしろよかった。劣化が激しい感じはしなかった。しっかり甘みもあるし、これはいいかもしれない。でもまだこれでいこう、っていう決め手にはならない。もうちょっと様子見。
妻が買った「夜明けのすべて」の原作を借りて読んだ。映画と原作で設定こそ違いがあるが、芯の部分はまったく同じだから、何も違和感がなかった。眼差しにまつわる話なのだと思った。

誰かの負担を和らげるのは、強引に髪を切ったり、勝手に告白したりすることなんかじゃない。靴に炭をしのばせる。そういうことが、苦しさを軽減させてくれるのかもしれない。

夜明けのすべて | 瀬尾まいこ

関係性は全く違うが、「夫婦間における愛の適温」に書かれているこの文章を思い出した。ひとつ飛ばしの思いやり。相手の周囲を想うこと。

いつでも、夫になにかしたいと思っている。できたら、夫を大切にしたいと思っている。それをぐっとこらえて、夫の存在をひとつ飛ばしに、代わりに夫の睡眠や、夫の仕事や、夫の家族や、夫の身体を大切にする。夫の持っているものを、わたしが一緒に大切にする。それが、強すぎず弱すぎもしない、愛というものの適温ではなかろうか。

夫婦間における愛の適温 | 向坂くじら

映画の方を観に行ったときに「他者が「あっ、そう。」と気に留めない態度で返してきたとき、それだけで救われることもある。」と書いていたことも思い出して、LIGHTHOUSEで若林さんがピース綾部さんとのエピソードを語っていたことを思い出した。なにかが少しずつ繋がっていくような感じがした。今日は引用祭り。

「お前はラジオの空間が好きだもんな」って言われたらすごく安心するんですよ。「お前そっちだもんな」って言葉って、すごくなんか、それこそ多様性を尊重されてるっていうか…

1.暗黒時代| LIGHTHOUSE

03/01
夕食後、自転車で買い物へ。ずっとフルリモートで働いていると、帰るついでにどこかへ寄るということができないから、外に出るのが通勤していた頃よりも億劫になる。わざわざ出なければいけない、というハードルの高さ。

帰宅してから咳が止まらず、焙煎前日に風邪?とうろたえたのだけど、鼻もムズムズして目もかゆいから、これ花粉症か、となって安心した。風邪じゃないなら、誰にも迷惑がかからないし、なんとかなるだろう。

03/02
焙煎日。ちりのような雪が降っていて、また寒くなって、冬が最後の抵抗をしているような気持ちになった。

焙煎、今日はなんだかとても調子がよさそう、という予感がしていて、実際その通りだった。感覚がシュッとしていたというか。意識せずとも適切な火力調整と、回転速度の維持ができていて、とても冴えていた。フロー状態ってこういうことなのかも、という感覚だった。

焙煎終わり、書店で「さびしさについて」を買って帰る。植本一子さんの本も、滝口悠生さんの本も読んだことがないのだけど、タイトルからして、これはおもしろいだろうと手に取った。

娘が決めたことの責任を、娘自身が背負うことになると思うと、傷つく姿を見たくない、と別の道を勧めたくなる気持ちもわかります。ついつい先回りして、傷つく権利さえも奪ってしまいそうになります。これから先は離れていく一方で、もはや赤ちゃんの時代をとっくに過ぎた彼女を、昔のようにつきっきりで守ってやることはできません。ただ見守ることと、安心して帰ってこられる場所を作ることしか、私にはできないのだと思います。

さびしさについて | 植本一子/滝口悠生

傷付く権利、なにかハッとさせられるいい言葉。傷付くことは、自由だからこそ起きる事象なのかもしれない。受けたほうがいい傷と、受けないほうがいい(受けなくていい)傷ってあるのだろうか、などと考えてみる。

03/03
試飲と梱包と発送と。気がつけば前回小躍りしていた注文数を上回っていて、嬉しい気持ちに浸るなか、ちゃんといいものを作って届けられているのか?という不安のようなものが渦巻いている。
おいしいというものが主観的なことは仕方ないのだけど、後ろめたさのないおいしさをきちんと表現できているのか、というのは作るうえで常に意識しておきたい。注文数が増えているからといって、くれぐれも調子に乗って天狗にならないように、と自分に釘を刺す。あなたすぐ調子に乗るから。

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