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小声の日記(02/05〜02/11)

02/05
皮膚科を予約して受診する。「2日間傷はどうされてたんですか?」と聞かれたので「1日2回水で流してテープを貼ってました。お風呂のときは防水フィルムで保護しました」と誇らしげに答えたものの、「お風呂に入るときは全部剥がして、痛いかも知れないけど泡で軽く傷口を洗ってみてください」と言われる。そ、そうなの?それってとても痛いんじゃないの?とたじろぐ。 傷の処置の方法を教えてもらって、また一週間後ということになった。それにしても火傷の痕を晒したまま風呂に入るだなんて、そんな恐ろしいことが自分にできるのだろうか。

02/06
Instagram上で珈琲の感想を投稿いただいていて感動する。うれしくて何度も読み返している。 嬉しさのあまりコメントを送ったけれど、読み返すと文章がめちゃくちゃで、何言ってるのかよくわからなくて申し訳ない気持ち。書き直そうかとも思ったが、言葉がまとまらならないくらいに喜んでいるさまが出ていてこれはこれでまあいいか、となった。でも何言ってんだこの人ってなっているだろうな。すみません。

02/07
2週間後に販売する豆の注文が既に入ってきていて驚く。これはとてもうれしい。 売れっ子になってしまったらいつ焙煎しよう、などと考え始めている。うぬぼれが酷い。すぐに調子に乗る癖がある。できる範囲で、できることをきちんとしていたい。うぬぼれはまだもうちょっと先でいい。

02/08
嫌の思い出が連鎖的に頭の中で浮かんできたり、起きてもいない空想の嫌な体験が頭の中で起こったりしているので、今日は調子が悪いのかもしれない。
「正反対の君と僕」を読み始めた。

「ちゃんとお前と向き合わないし精算もしない…」 「そのくせ加害者側になる度胸もない…!」 「なんなら自分に非があるとか思ってなさそうっつーか…」 「人のことナメすぎだろ 雑に扱われてんだからちゃんと怒れよ…!!」

正反対の君と僕 | 阿賀沢紅茶

怒るのはエネルギーの無駄、と思って怒る選択を避けてきたのは、傷ついている自分に気付きたくなかったのかもしれない。こんなことで怒るような人間じゃない、という自分像を作りたかったような気もする。余計なプライドがかえって自分を傷付けているのではと思える、グッときたシーン。

02/09
17歳の高校生が公開していた日記がnoteのおすすめに上がってきて、ちらっと読む。17歳!プルーストを読む生活を読んでいる!尊敬の念。本で自分の世界を広げているならば、それはとてもうらやましいし、過去の自分ももっと早くそういった本に出会えていれば、なんてことを考えてみたりする。当時の自分はかっこつけるのに必死だったので、余計なプライドを助長していたかもしれないけれど。
「みんなもっと日記を書いて売ったらいいのに」を読んでいる。同じことが書かれていることも日記のおもしろみなのかと思うと、前同じこと書いてるじゃないか…と消すのはなんだかもったいないように思える。
「未解決事件は終わらせないといけないから」というゲームを始める。

02/10
未解決事件は終わらせないといけないから、クリアする。タイトルそういうことなのかー。シンプルさがおもしろくさせるゲームだったな。エンディングに出てくる作者のメッセージもすばらしい。
アニメ「スキップとローファー」も全話見終えた。こちらもいい作品。わかりあえないから敵対するのではなくて、わかりあえないからどうにか言葉を絞り出して伝え合う、みたいな世界観があたたかくて、よかった。お互いに思いやっていることがわかるから、安心して観ることができた。

02/11
心底どうでもいいことにいちいち反応して摩耗している。どうでもいい、で終わらせておけばいいのだ。
「どうでもいい」は自分にとっては己を守るために必要なことで、それがないままで他者と向き合うと、あらゆることに反応して、徐々に自分の心が削れていってしまってるような感覚になる。もっと自己中心的でいいのでは、と思う(それはそれで語弊がありそうだけど)。自分の全てを他者への反応につかうことは、自分にはできない。他者への関心や反応は、自分を満たすためのエネルギーがはみ出たときにしか使えないので、反応できないときは視界に入れておくことしかできない。 どうやって他者への関心を保ち続けるかではなくて、どうやって自身を満たすエネルギーをはみ出し続けられるか、ということを考えながら生きる方が性に合っている。

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