小声の日記(06/10〜06/16)なにかと自転車で走ってた
06/10
コーヒーゼリーを使ったデザートで、味と見た目で優勝したくて色々と試行錯誤する。グラニテとアイスクリーム。やっぱりあと生クリームがあったら最高においしかったりするのだろうか。
部屋に侵入してきた小さな蜘蛛が横にちょこちょこと歩くさまを見て、視力の低い妻が「…蟹?」と言っていた。惜しい。惜しい?
06/11
朝、珈琲を淹れようとして豆をぶちまけ、沸かしたお湯でやけどをして今日はなんかそういう日なのか?と落ち込む。不測の事態が起きた時に、それをただの事象として見るか、ネガティブな出来事として投げやりになるかで、そのときの自分のコンディションがわかる気がする。今日は後者だったが、
そのことに気付いてからはなんともなかった。淹れた珈琲はおいしかった。
昼、珈琲を入れようと思ったらお湯をこぼした。
夜、妻が父の日のための食事にでかけたので一人街中華めがけて自転車を走らせる。臨時休業。諦めて近所のラーメン屋に行ったらこちらも臨時休業。今日そんなにだめなんか。挫けて全部投げやりになりそうだったけど、ぐっとこらえた自分はえらいとおもう。
06/12
夜中に腹痛で起きたけど、「これ現実で痛いやつなのか?夢?」と識別ができず、そのまま再び眠ってしまうということを数回繰り返していた。朝食を食べた後また痛くなり、現実だったことを知った。
06/13
漠然とこのままではいかん、という気持ちがずっとあって、昨日あたりから「じゃあ今何に不満を感じているのか」ということを考え始めたらすいすいと進んで、ひとまずこれから進む方向性を決めたのだった。久しぶりにビジネス書みたいなやつを買うことにした。
夕方、大叔母からお米が届く。定期的にお米や野菜や、いなり寿司なんかをくれてとてもありがたい。でも返礼はするなと毎回強く言われる。負債感だけが募っていくので、別のところで発散していきたい。受け取るだけの人生も不健全である。
06/14
いいちょラーメンが食べたくて長めの休憩を取り自転車に乗る。ジリジリと皮膚が焼けるように暑い。これでまだ梅雨入りしていないなんて!夏の外出は文字通り命がけになるのかもしれない。恐ろしい。
06/15
お菓子をつくるための材料を買いに行きたくて朝から自転車でスーパーへ赴く。午前中からすでに暑い。梅雨入りすらしていないのにこの気温、もう今年の夏はだめかもしれない。毎年言ってる。
帰宅後、だらだらしながら映画を見る。川っぺりムコリッタ。傷をユーモアで包みこんでくれるいい映画だった。ご飯が食べたくなった。
06/16
この間日記に自分の思考の癖について書いて、過去の日記を読み返していると去年の秋の日記にも同じことを書いていたのがおもしろかった。何も変わっていない。でも、変わりたいって思っていたっけ?変えなければいけないことだったんだろうか。というところで、「死ぬまで生きる日記」の一文を思い出した。
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