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小声の日記(01/08〜01/14)

01/08
着なくなった服を売りに行く。3点で4,000円ほど。服の色合いも歳を重ねると好みが変わる。寒色系の服をほとんど着なくなった。
午後から高校サッカーの決勝戦。決勝戦を観るたびに、ヒィヒィ言いながら卒業制作の作業をしていたことを思い出す。実家で作業をする中、自分以外の家族は各々休日を謳歌していて、なんで自分だけこんな状態なのだと勝手に憤慨していた。
地元の高校、劣勢なのに自分たちのサッカーのやり方を貫いていて、最後まで挑戦することを恐れない姿がとても美しく見えた。おもしろい試合でした。

01/09
仕事。本当の仕事始めは今日かもしれない。年末年始を休んで、2日働いて、3日休みを経た後に働けというのはなかなかに酷な世の中だなと思う。

01/10
昨晩、長らく抱えていた悩みに押し潰されてしまい平静を装うことができず、元気ないねと言われたことを発端に妻に全て打ち明けてしまった。話している途中でぼろぼろと涙が出てきて驚いた。この年齢になっても泣くことがある。 泣いた影響なのか、何かが崩れたような感じがして、今日はふとしたときにすぐ涙が出てくる。原因のない涙。悲しいとか嬉しいとかそういったものじゃなくて、ただ勝手に出てくるなにか。
夜になってようやく落ち着き、相談してよかったとなったのであった。

01/11
軽めの寝坊。軽めってなんだ。
数日空いて読書の日記。出先で読める本が欲しくなってきた。

なんとなく、反応はどっちでもいいような気がしていた。僕はこれは面白いと思うし、それは誰がなんと言っても変わらない気がする、だから面白く読まれてもつまらなく読まれてもなんなら読まれなくても、なんでもいい気がするなあ、と思っていたが、いやこれ、うれしいものなんだなあ、と思った。

読書の日記 本を出す 指を切る お葬式 | 阿久津隆

SNSで見かけた日記に関する本の一節がすごく良くて残しておきたかったのだけど忘れてしまった。人に見せることを前提としない、書けば書くだけ自分の表現ができあがっていくみたいな感じだったのだけど、なんだったか。

01/12
今日も軽めの寝坊。
豆の販売を再開して、それをどうにか知ってもらうように色々やってきた中で、以前個人で活動していたときもしていたInstagramでの販売ページを作る、という作業を進めていたのだけれども、FacebookとBASEを連携させたり、本人認証を進めなきゃいけなかったりで面倒になってしまった。なによりFacebookのビジネス管理みたいなやつ、全然わからない。 そして思った、これ本当に必要なのか?そこまでしてInstagramに商品情報を掲載したとして、そこから買われることってあるのだろうか。というかこれって、自分がお店してます感を出すために、自分が満足するためにやってないか?もしかしたらこれをやる必要ってないんじゃないか?
考え始めると止まらなくなり、作業をやめた。通販やるなら連携しなきゃ!みたいな意識に縛られていたような気がする。やる意味が本当にないのか、ただやらなくていい理由をつくりたかったのかはわからないけれど、まあいいか、という具合。

01/13
しっかり寝坊。
夕方、珈琲豆を入れる袋が届く。これから作っていく豆は、比較的深煎りのものがメインになるので、通常の「100gの豆が入ります」という袋ではパンパンになってしまう問題があり、250gくらい入る大きめの袋を使うことにした。見た目で決めた細長い白い袋。1袋ずつ判子を押して、手書きで埋めて、という作業になる。判子を押すセンスがないので多分綺麗には作れないだろうな、と今から思う。そこはもうご愛嬌ということでなんとか許されたい。

01/14
文学フリマへ。初めて行くのでワクワクしていたが、入場数分で人の多さと独特の空気感で早々に疲れてしまった。 せっかく来たのだから、と会場を一周したものの、余計に疲れてしまって何も買わず逃げるように会場を後にした。そういえば自分はコミュニケーションを必要とする場が得意ではないのだった、ということを改めてつきつけられたのだった。コミュニケーションが必要な場では、コミュニケーションが取れる人が傍にいないとほぼ何もできないので、今年はそれを少しでもなんとかしたい。いつもの書店で「転職ばっかりうまくなる」を買って帰宅。

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