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小声の日記(03/18〜03/24) おいしいがわからないけど鳥肌が立つ

03/18
週末の疲れが抜けておらず、身体が重い。体調も良くない。液体になっている。何もする気が起きなくて心底こまっている。 ずっと自宅の室内で過ごして鬱屈としているような気がして、これはいかん、と外に出ることにした。 買い物に行こうか悩みつつ歩き、少し遠いスーパーへ行き、明日の朝食で食べるパンを買う。その頃には液体から少し脱したような感覚だった。ゼリーくらいだった。

帰宅後、珈琲の試飲。いい、はずなんだけど、やっぱりどこか不安というか、自信が持てないというか、確信が持てないというか、持ちたいけど持っちゃいけないというか。いや、いい味してると思うんだけどな。一人ひとりに聞いて回りたい気分になる。味、大丈夫ですか。お口に合っていますか。無理においしいと思ってくれてはいませんか。

03/19
比較的落ち着いているんだけど、時間が経つにつれて気持ちが落ち込んでいっているような気がする。
なんとか気分を変えようとスーパーに行く、そして本屋にも寄るが文字が読めないから興味が持てなくて、これまでずっと読書が好きだったのにできなくて、これはこまった、という感じだった。

いろんなことに興味関心が湧かず、ただ横になっていたいと思った。 調子が悪いからと言って自分を責めることは一切なかった。けれど、その場に存在していること自体にしんどさがあって、一体これはどうしたらいいのだろうと、得体のしれないものの扱い方に苦労した。ちょっとの間この世に存在していることを中断したい、という欲望が見えた。また戻るんで、少しの間いないことにしてくれませんか、という感じのなにか。

03/20
目覚ましをかけずに寝たら11時過ぎまで寝てしまった。 引き続き調子が悪く、悪天候も相まってげんなりとしてしまった。 何をする気も起きず、かといってその場に留まることもいたたまれない、みたいな状態。 結局昼寝もしてしまって、世界との接触を拒絶する術として寝ているのでは、と思った日だった。

03/21
今週の日記を読み返していたら、明らかに調子が悪くておもしろかった。おもしろがれる余裕が今はある。本はまだ読めない。文字が読めないなら絵画や写真を見たらいいのでは?と考えるようになってきた。どうなんだろう。
「30日に焙煎する投稿の文章を書く」というタスクの中身を開くと「3月最後の焙煎を30日(土)に行います。」とだけ書いてあった。過去の自分、書くことを諦めている。

03/22
朝、新しい豆の試飲。うわ、うわ、うわーーっと、鳥肌が立つくらいにおいしくて、驚いた。自画自賛だけど、これはいいぞ、と確信がある感じ。豆自体がいいんだろうな。生産者に感謝だな、と思う。多分これも、数日経つと本当にこれをおいしいと言っていいの…?みたいな状態になるのだろうけど、なるとわかってるけど、今おいしいと感じている事実を残しておきたい。今日のこの豆、すごくいい。今週のじめじめした気持ちが飛んでいくような、気持ちの良い珈琲だった。この味を買ってくれる人全員と共有できたら、とても喜ばしいだろうな。

ぼやぼやと仕事をし、早めに上がる。 引き続き本、というか活字、というか書籍に羅列された文字があんまり読めなくて、読みたい気持ちはあるのだけど行動としてそれができない、という日々で、写真や絵画ならいいんじゃないか、と思い京都BALの丸善に行く。川内倫子さんの「as it is」がとても良さそうと目星をつけて行ったのだけど、隣に置いてあった福永星さんの「あなたがそこからみる今日は」の表紙を見て、なんとなくピンと来て、買った。良かった。そうそう、こういう写真と、ぽつりと降り落ちてくるような無垢な言葉に触れたかったのだ、と思う。

03/23
「あなたがそこからみる今日は」を何度か開いたり閉じたり、適当に開いたページを読んだり、写真を眺めたりして癒されている。あいにくの雨だが、雨だからといって気分が落ちることがなかった。この本のおかげかもしれない。 言葉でもっと遊んでいいのだ、と本を読んでいて思った。伝わらなくても、いいのではないか。

さも、なかったことのようにわたし。

あなたがそこからみる今日は | 福永星

という一文だけが書かれたページを見てそう思った。もしかしたら、誰かの琴線に触れるかもしれない何かを書く、というのもおもしろいかもしれない。

03/24
しっかりと、休日。起きたい時間に起き、食べたいものを食べ、したいことをする。 葬送のフリーレンを全話見終えてしまい、たいへんこれはいい作品だと、全巻買った。コミックスを自宅で読んでいたら夕方。来週の焙煎のことを考える。
いま注文がゼロで、たぶんこのまま注文が入らずに当日を迎える可能性もある。今までずっとそれがなかったこと自体が奇跡のように思っているので落ち込むということはないが、なにか余計なことを書いてしまったのだろうか、そもそも珈琲がおいしくなかったのでは、そうであればとても申し訳ないな、などと考えてしまう。この間のあの晴れやかな気持ちはどこへやら、という感じである。でも結局、それを繰り返していくと思う。自信を持ってしまったら、それはそれでおしまいな気もする。注文が来なければ来ないで、豆の検証を引き続きするだけ。それだけ。

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