小声の日記(07/08〜07/14)鳩が豆鉄砲を食ったような

07/08
昨日気温が40℃を超えた地域があったというニュースを見る。負の連鎖がもう止まらないような気分になった。生きるために室内の温度を下げざるを得なくて、そうすると気温も上がっていって、もう歯止めが効かないような。軽い絶望を味わう。気温ヤバいね〜で済ませてはいけないのではないか。でも、だからといって、どこから何を考えたらいいのだろう。

07/09
都知事選のあれこれを見ていて、自分はただ切り取られた一部だけを見ただけで、政治に関心を持っている気になっていたのだなと反省した。要約された情報の恐ろしさを目の当たりにした。己の目で観察すること。面倒なことを愛着のわくことにしていければ。

今日、自分にとっては大切で楽しみな時間があったのだけど、いざその時間になったとき、提示されていたものと全く違うことが展開されて、わけもわからないまま時間だけが過ぎていった。何をしたかもほとんど覚えていなくて、あの時間は何だったんだろうか、と悲しい気持ちになった。 ホームパーティーしようと言われて、料理して待っていたら、今日はキャンプ場でBBQだよって言われたような感じに近いかも、いや違うかも。

07/10
昨日のことを引きずっている。臨機応変に対応できない自分の不甲斐なさや、提示された内容と異なることをしてくる相手への不信感が入り混じって、適切な形容詞で表現できない、捉えどころのない気持ちがずっと渦巻いている。ずっと怒っているし、ずっと悲しんでいる。ずっと自分を蔑んでもいるこれは、なんと呼べばいいのだろう。自分にとってあの時間は大切なものだったことに違いはない。それを蔑ろにされたような気分。傷?
おいしいもので慰めようと、先日もらったいいお肉ですき焼きを食べる。

07/11
報われることがあったのでよかった。
珈琲豆を売ろうと決めた頃から考えていた理想の生き方として、安定した生活がある程度約束された状態で、精神的余裕がある状態のまま継続していくことを掲げていたが、この歳になってようやくそれが実現した気がする。今ある暮らしが脅かされることなく、ふだんの生活を楽しみながら活動を続けていくこと。より大きくブレながら揺れ動いていくための、根を伸ばす営みがひとまず終わったというか。
基盤が整ったのであれば、あとはもっと自分がよいものを作るようになっていくだけだな、と思った。

07/12
お休みを取ってアウトレットへ。一年ぶりくらいに来た。探していたリュックがたまたま売っていて、これは巡り合わせがあったのだと思い買った。その他にも服を買おうと意気込んでいたが、どうも自分には合わない感じのものたちばかりで買うに至らず。もうアウトレットを楽しめる年齢ではないのかもしれない。いいものを長く使いたいならば、それに見合った値段になるのも致し方なしか。

07/13
昨日雨だったおかげか、エアコンをつけずに眠ることができた。少し肌寒さを感じるほどで、こんな季節にエアコンもつけず寒くなることがあるのか、と少し感動し、毎日エアコンをつけなければいけないことへの後ろめたさも少し緩んだのだった。

買い物ついでに書店に寄り、久しぶりに小説を読みたかったので「六人の嘘つきな大学生」を買う。帰宅後、スプラトゥーンでフェスをしていたことを思い出し少しやる。私は宮殿派。

07/14
湿気がひどいのでエアコンを除湿運転にするが、したらしたで寒くなってしまい(26℃に設定しても室温が23℃くらいになる)、この季節の正解がわからない。

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