久々に自分の気持ちと向き合ってみた。

なぜだか最近、文章を書きたいと思わなくなった。

現に書いていなかった。

ちょうど年が明けようとしているときの私は、
「今年はたくさんnoteを書くぞー」と思ってたのに。

なんで?
否、そもそもなぜ私はnoteを書こうとしていたんだろう?
日記として?誰かに読んでもらいたくて?文章力を上げたくて?

あ、そうだ。
文章を書く癖をつけようと思ったんだ。
自分の考えていることを上手く伝えられるような人間になるための修行だったんだ。


私は自分の気持ち・感情を人に伝えるのが苦手だ。

「喜びも、怒りも、哀しみも、楽しさも。」

この頃プラスの感情は伝えられているような気がしていたが、それでも友人には「感情表現が乏しいよね」「何考えてるか分からないよね」なんて言われることはザラにある。

たぶんその根源は自分が一人っ子として大人に囲まれてきて、なんとなく感情を押し殺して生きてきたからだと思う。

私は、幼い頃から父の会社の人間や母の友人と一緒に食事をすることが多かった。要するに私から見れば「話の通じない人」や「言語感覚が合わない人」とばかり会話をしていた。そうなると子どもはどうするか。大人の話は適当に受け流して、無言で食に集中する。大人に話しかけられたら無難な答えを返しておく。母親が他人様の前で私のことを何から何まで、まるで自分のことのようにペラペラと話す様子にイライラしながら、とにかく自分は奇妙な微笑を浮かべてやり過ごす。そう、そのおかげで愛想笑いは得意なのだ。大人に好かれることもまあ割と得意だ。

でも人間として大切な何かは失っていることに気づく。

それに気づいたのは大学生になってから。

多種多様な人間と合って、運良く心理学を学ぶ教授のもとで学ばせてもらって、自分の気持ちと深く向き合うなかでやっと気づいた。

 私は、感情表現ができない。

 自分の中にある感情を
 相手に伝えられないわけではなくて、
 自分が何を感じているのかがわからない。
 自分がどういう気持ちなのかに気づけない。

だから私は、自分の気持ちと向き合う練習をしていた。

noteもその一環だったのだ。


なのにもう忘れてしまっていた。

また感情を失うところだった。


ちなみに今は寂しい。

友達と会えない。
好きなこともできない。
旅行にも行けない。
ご飯に行くこともできない。

誰かに会いたい。

寂しい。

つらい。


私はごく一般人だから
こんな風に弱音を吐くと
「医療従事者の方に失礼だ」とか
「実際にコロナにかかった人は大変なんだ」とか
怒られるかもしれないけど、

でも、私だって悲しいし寂しいし辛い。

毎日家族といるのだって別に楽しくない。辛い。
関係性が悪いわけじゃないけど、
毎日毎日同じ顔を見ていたら飽きる。
父はニュースを見て、毎日毎日同じ話。
母はそれに飽き飽きして、疲れも溜まっている。

別に家族って一番の理解者って訳じゃないと思う。
少なくとも私の家庭はそうだと思う。

私はある頃から自分の話を一切しなくなったし、
基本的に話しかけられない限りは話さなくなった。

仲が悪いわけじゃないけど、良くもない。

毎日同じ家で過ごすのが辛いだけ。



こう、何も考えずぼーっと書いていたら
色々書いてしまった。

まあいいか。

これが今の私。


心の中がぐちゃぐちゃしてて、
寂しくて、辛くて。
でも、そういう日もある。

それが人間。


人間で良かった。


 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?