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雨とカプチーノ…じゃなくてカフェオレ

目が覚めると、窓の外は雨上がりだった。

朝起きると時計の短針が11を指していた。朝じゃないよそれは。思い切ってガラッとカーテンを開けると中途半場な日差しが指す。空は今日は灰色だ。なんとなくの色で地面が濡れていることがわかる。

雨上がりは一番気楽だ。雨の湿っぽい香りは憂鬱じゃないときは好きで、その匂いをかぎながら日差しを浴びるのは悪くない。

…かと思ったら、若干まだ雨は小ぶりだった。視力がかなり低いため、寝起きじゃ何も判断できない。生きていく力、足りてない…。

雨の日の曲のチョイスが難しい。暗い雨の歌、青い雨の歌、爽やかな雨の歌。どれも好き。雨というものが好きだ。一概に好きとはいえないけど、好きなときは、好き。雨が好きな自分に少し酔ってるような気もするけど、晴れの日が好きなのも、雨の日が好きなのも、何一つ変わらないから別にいい。

せっかく日差しの中に雨が落ちてるんだから、今日は少し明るい曲を聴いてみようかな、なんてぬるま湯で顔を洗っていて思い出したのが、雨とカプチーノ。

懐かし。

丁度二年前くらいに出た曲だっただろうか。ヨルシカの。タイトルが全て好きなものだったからよし聴くかとかつてよく聴いていたひとたちの曲に久々に手を出し、とても美しい曲で、胸がズキズキした、という記憶がある。

映像も綺麗。

朝昼合同飯として、食パンとラ王をのそのそと食べる。一通り茶碗も洗い終えて外を見ると、雨はすっかりやんでいた。ほんとの雨上がりだ。雨とカプチーノチャンスを失ってしまった気分である。チャンスを無くしたと思ったせいで、結局雨とカプチーノ聴いてないな、と思い、これを書いている深夜布団の中、聴いてみた。どこか胸が苦しくなった。結局素敵なものはいつどこで摂っても素敵だ。

3時頃、カプチーノだけでも飲みたいな。と思い台所に向かった。

あれ、

カプチーノってなんなんだ。

カプチーノがわからない。カフェラテ的なものを想像していたが、よくわからない。言われてみればつくれない。

正真正銘雨とカプチーノチャンスを失ってしまった。しまった。結局カプチーノは調べてない。めんどくさい。これだから駄目なのだというツッコミは無用である。もうわかってるから。

まあ、カフェラテでいいか。

そういえばカフェラテとカフェオレの違いってなんだっけ。もうわからん。一般人にわかる問題じゃない。スタバの店員さんに抜き打ちで調査したら一人くらいはミス出るんじゃないの?レベルでわからない。いや、スタバの店員さんは絶対すごいから間違えたりはしなそう。偏見を連呼してしまった、反省。

お湯をしゅんしゅん沸かしながら、マグカップにおいしい牛乳を注ぎ、レンチン。個包装のコーヒーの封を切り、セット。少し冷ましたお湯を注ぐ。

コーヒーの香り、好きだなあ。でもなぜか他人がコーヒーを淹れているときの香りのほうがいいのはなんでだろう。鼻に入ってくる香りの量みたいなものが違う気がする。隣の芝生は青く見える、みたいなものでもあるかもしれない。

部屋中がいい匂い。もうこれはカプチーノ飲めたってことでいいかもしれない。食べるものも特にないので食パンをまた食べた。


室内から見る雨は気楽だ。でも浴びるのも、傘でその中にいるのも、好きだ。髪が崩れることと湿気は嫌だ。連続して何日もが雨だとそれも嫌かもしれない。変化がほしい。雨が嬉しいのは、晴れの日があるからで、晴れの日が嬉しいのは、雨の日があるからだ。

今が雨の夜だったらいいなあと思って外を見ると、月が浮かんでいた。いいねえ。やっぱり変化がほしいだけだ。雨がいいなと思うことは少なくても、なんとなく雨だったら嬉しい。何も気にせず外を見て月があったら、嬉しい。

傘をさすとぽつぽつと雨が傘を介して音を鳴らすけど、室内だと、ひたすら、水の落ちる音がする。たまに雨水が流れる音とかがしていい。

雨の日のことを書きたかったけれど、うまくまとまらなかった。雨の日のことは雨の日にかけってことか。すみません。この話に凝ったオチはありません。

雨の日に思いを馳せつつも、月夜を喜ぶ私は都合のいい人間だろうか。

カプチーノがわからなくてもカフェラテで満足する私は、都合のいい人間だろうか。

まあ、いっか。私なりに雨の日も晴れの日も月夜も生きればよしとする。

晴れの日はアイスコーヒーを。月夜はカーテンを開けて好きな音楽を。眠いときはその場で対処を。


雨の日は、カプチーノ、…じゃなくて、カフェオレを。

そんな私で、いい。