20240217[父さん]

私の父は昔、チェコという東欧の国に単身赴任をしていた。
父の会社からは、赴任期間は五年に及ぶと言われていたため、父は母と私に対してことあるごとに「一緒に住もう」と持ちかけてきた。
当時小学生だった私は、行ったこともない国に住むことへの不安と懸念が大きく、「行きたい気持ちは20%」「30%」などと伝えていた。
賢い子どもだこと。自分で言うな。

私が小学校三年生になった年の夏休みのことである。
父は、母と私をチェコへ招待した。
私は、初めてのヨーロッパ旅行だ、大好きなハイジの食べていた夢のチーズフォンデュを食べるんだと浮かれて飛んだ。
……それはスイスだろとお察しの方へ。
はい、なんとほぼスイス旅行でした。
当時の私はアルプスの少女ハイジが大好きで、スイスへの憧れが強く、私の機嫌を取りた……楽しませようとした父がスイス旅行を計画してくれた。
本場のチーズフォンデュは……まぁこの話は長くなるから、おいおい話そう。
今日の主題は父さんなんだから。
そう、そしてその父さんは、この旅行の数日はチェコの首都であるプラハやら父の働く職場やらに連れて回ってくれて、すっかり気分の良くなった私は「チェコ住みたい!」などと言い出した。
特に、世界一美しい街と言われているチェスキークルムロフを母も私も気に入り、また来たいねなどと話していたものだ。
訪れてからとっくに干支一周りを過ぎた今でも、母と会うたびにこの街の話をするほどだ。

日本に帰り、心の決まった母と私は、翌年の初夏に渡チェコすることになった。
その渡チェコ予定だった年の二月のことである。
心から予想だにしなかった出来事が起こった。
父が赴任先のチェコで亡くなった。
原因は父の運転ミスによる交通事故。
幸いにもけが人はなく、父ひとりで路肩の林にツッコんだ。
2月17日、今日は、私の父の十七回忌。
父の死は、私の人生において実に大きな分岐点である。
もしもチェコでの暮らしがあったら私はどんな人間になっていたんだろうとか、父が生きていたら母はどんな気持ちで私を育ててくれたんだろうとか、父が亡くなってから十七年間、毎日どこかで考えている。
私は父方の親戚から「お父さんにそっくりだ」と言われることもしばしばあり、そのせいもあってか、父が亡くなってからの私は父の人生の残りなのだと考えて、自分と向き合うことから逃げていた時期もあった。
後悔先に立たずではあるが、この我々一家にとっては大きすぎる出来事が何か、母と私を繋ぐ一助となっているような気もする。

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