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クリスマスの正解

クリスマスといえば、皇帝アウグストゥスが覇権を振るい、赤いマントをつけたローマ軍にムチ打たれ、5歳以下の男の子は殺され、民衆が救い主を求める、という話が私は大好きなので、12月上旬からSpotifyでクリスマスキャロルとヘンデルのメサイアをリピートしていた。

日本のクリスマスといえば、全然キリストのことを知らないくせにやたらウフフキャッキャとしている…と悪口を言いたいわけではないが、それにしても日本の若者を取り巻くクリスマスの幻想は、ちょっと窮屈すぎるんじゃないか?ということは毎年考えている。

女性:「クリスマスは彼氏と高級ディナー」が最上級のステータス(値段は高ければ高いほど良い)+プレゼントは欲しい(恒例の4℃問題) 周囲と比較し、自分のクリスマスが劣っていると悲しい気持ちになる

男性:女性が考える最高なクリスマスを実現するべきとされているので疲れる( しかも何が良いのかイマイチわからないので一般論に頼る)

あんたらの意思はどこに行っちまったの!?と私なんかは思うわけですが、そう思わない人もかなり多いのだろう。ある人にとっては、自分が幸せで恵まれている状態であることを確認する作業としてのクリスマス、なのかもしれない。

私がいつからこの価値観に触れたかを思い出してみると、それはおそらく中学生くらい?女子校だったので自分自身は「彼氏とクリスマス」とは無縁だったものの、一般的にはどうやら恋人と過ごすことになっているらしいことはメディアから学んでいた。この「メディア」というのは、当時は雑誌、今だとYouTubeやInstagramだろう。

メディアはクリスマスに向けた特集を組み、「クリスマスまで残り1か月! 最高のボディでナンタラ」だの「モテコーデ」だの「理想のデートプラン」だのを懇切丁寧に教えてくれる。それらが提示してくる理想に追いついていない多くの女性が自分の「足りなさ」を自覚し、焦り、「理想」に近づこうとする、という地獄

これは本当に地獄で、「そんなの気にしなきゃいいじゃん」の一言で切り捨てられるほどサッパリとした問題ではない。自分の中から取り除こうとすると、ほかの何かも一緒に取り除かれてしまいそうなくらい自分の身体と癒着している。クリスマスでなくても常に「あるべき姿」を刷り込まれることには慣れっこで、もはや諦めているし、自分なりの回避の仕方も習得してきた。

ちなみに私なりの回避の仕方というのは、基本的に異性と関わらない、という、なんかもうモンスターのような消極的な方法だ。異性と相対し自分の性を意識するとき、自分の奥底に蓄積されてきた「求められる女性らしさ」の知識が心よりも先に頭を覆いつくし、自分が何者なのか分からなくなる。悲しいね。性別とかナシで付き合いたいですね。

話を戻すと、今年のクリスマスで衝撃的だったのは、同じようなことが男性にも起ころうとしていることだった(もう既に起きているのかも)。

『Men’s NON-NO』(2023年1・2月合併号)の企画「令和版!モテない男ベスト10」。確かにこういう男はいやだと感じる項目が並べられており、ぜひ改善してほしい内容ではあるのだが、この見せ方は私たちがやられて嫌だったことではないか?「こんな女は嫌だ」という像で囲い込まれ、そこからはみ出ると平気で叩いて良いものとされる。平気な顔で(なぜか上から)ブスと言われたりするし、他の人がそう言われているのを見ているので自分は気を付けないと、という恐怖訴求が心の奥深いところまで浸食する。

男性が「自分は何もしてないくせに女性だけに美しさを求めてくる生物」であれば敵として批判できるが(しないけど)、この批判は「同じ境遇になりなさい」ではなく「そんなことを求めてこないで」というものなので、男性も同じ苦しみに巻き込まれたら意味ないじゃん!何この負の連鎖、だれの仕業?

男性の美容ブームとか、ジェンダーレス云々など、そんな風潮を私は良いことのように思っていたが、ちょっと違うかも。それが「できなくてはいけない最低ライン」になってしまったら窮屈な思いをする人が増えるかも、と、ちょっと悲しくなりました。

とはいえ、最近化粧水を塗り始めた父は、「肌がいい調子♪」と喜んでいたりなどして、スキンケアなどはやらないよりやった方が良いものもある。できるだけ自由に、それぞれが良いように、なんて、絶対に無理な話なのかもしれないですね。せめて私だけは、私のまわりだけは、という切実な思いがあります。

(2022年12月26日 執筆)

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