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一本箸

大晦日、私が乗った成田行きの飛行機はイスタンブール上空を通過していた。両隣にはトルコ人男性2人。右は「にほんごであそぼ」のコ二ちゃんそっくりな大巨漢。左には陽気そうだが貧乏ゆすりがひどい男が座っていた。

私は座席指定をミスったと後悔した。右のコ二ちゃんは、もう私の席の半分以上侵入してきている。体が大きいので仕方ないのだが、これから11時間以上この状態で過ごさなければいけないことにすでに疲れを感じていた。

映画も見る気になれず、音楽を聴きながら時間を潰した。

結局一睡もできず、耐えに耐えて成田空港が近づいてくると、左の貧乏ゆすり男は税関の申請書を書き始めた。

「ココは、ナンデスカ?」

税関の申請書の書き方がよくわからないのだろう。貧乏ゆすり男は上目遣いで尋ねてきた。相手はカタコトの日本語だったので英語で対応すると、

「ノンノン。ニホンゴ、ツカッテ。」

怒られてしまった。
相手に釣られて私も変な日本語になってしまう。
「チガウ。ココは誕生日を書くの、ヨ。バースデー。」

全ての記入が終わると、
「アリガトね。」
男はウインクをしてそう言った。2週間ほどの観光で来日するそうだ。どこ行くの?と聞くと、男は
「just サイタマ。ウラワー、オオミヤー、エキサイティングねー」

何が彼をサイタマに強く引き寄せているのだろうか。日本人でも2週間のオンリーサイタマ旅行は厳しいと感じるのに、男はあんまり目をキラキラさせて語るものだから、少し怖くなって深くは聞けなかった。


成田に着き、だんだんと日本人に戻っていくような感覚。成田空港の静けさに、妙な安心を感じながら実家へと向かった。

1週間程度の帰省だが、成人式の日程に合わせて帰国した。久々の再会は楽しく、あっという間に時間が過ぎてしまった。特に、すでに社会人をしている同級生の変わりぶりはすごかった。人間としての厚みが違うというか、人としてとても大きいなと感じた。自分が子供に感じるとともに、私もあんな風になりたいと思った。

「ああ、よかった。これであんたも少しは働く気になったかい。」
この話をしたとき、母はそう言った。

自分でも、将来の方向が決まっていなすぎて漠然と「ヤバい」と思っている。まだ焦ってはいないが、漠然とヤバいと思っているだけではダメなんだろうな。

2024の幕開けはひどかった。地震の被害、羽田の飛行機事故、多くの人が心休まらない年始となった。
日本はこんな有様だ。世界でも大々的に報道されている。
そう思っていたのに、ハンガリーやアメリカにいる友人からはなんら心配のメッセージも来なかった。唯一きたのはアパートを借りているハンガリー人の大家さんからで、

「Happy new year Sonoko!
今月の支払いはこれだから!近いうちによろしく!(^_−)−☆」

といったものだった。

まあ、そんなもんか…。


ハンガリーに戻る前日、私は箸やお茶碗、湯呑みを必死にスーツケースに詰め込んでいた。和食の食器は現地で手に入りずらいのだ。
私は日本を出国する時、緊張してお腹を下してしまう。飛行機が苦手というのもあるが、これから外国で、外国人になり、1人でやっていかなければいけないと思うとその圧に耐えられなくなってしまいそうになる。
留学は自分で決めたことだし、いざ行ってしまえば日々の生活になってしまうので大丈夫なのだが、出国前はしんどい。

✈︎



日本とは違う種類の冷んやりとした空気の中、バカデカいスーツケースを2つ抱え、ブダペスト空港に降り立つ。Ferihegy駅に向かってえっちらおっちら運んでいると、本当にいろんな人が助けてくれる。時には私より力がなさそうなおじいさんが、一緒にスーツケースを運んでくれるのだった。

たくさんの人に助けられてアパートに着くと、夜の1時を回っていた。時差ボケで眠くなかったので、荷解きを進める。

少し嫌な予感はしていた。スーツケースを開けると、真っ先にお箸が一本転がり落ちてきた。片付けても荷物を漁っても、もう片方のお箸が出てこない。絶望だ。一本だけ箸があって何になるというのか。私が住んでいる町に、箸はない。外国人としてやっていくというのはこういうことだ。


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日本の税関の申請書は日本にやってきた外国人にとって記入するのは難しいし、まず日本人でもちょっと分かりにくい。

能登半島地震では、外国人観光客は避難や現場の情報が得られず、避難が遅れた。また、地震の直後は外国人窃盗団の偽情報まで拡散された。

厚生労働省のXでは地震に関連して外国人技能実習生向けてメッセージが投稿されたが、その投稿文は日本語のみだった。

世界における日本というのは本当にちっぽけなものだし、どこも自分の国で一杯一杯だ。

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翌朝、日本から持ってきた和風だしで味噌汁を作った。箸がないのでフォークで啜った。とてもおいしかった。

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