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ChatGPTにみる、AIの特性

最近話題のChatGPT。

即時に回答してくれ、対話の精度も高い。ChatGPTはどのような理念(アルゴリズム)に基づいて回答しているのか気になり、いくつかブラックボックスを覗いてみることにした。

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ChatGPTの存在意義は人間が利用することによって、有益となったり、解決する手助けをする点にある。あくまで「人間」のための「ツール」であることを強調する。人間とAIとは共存することで意味をなすものであり、人間がいなければChatGPTは存在する必要はないと言い切っていた。

この点については、あくまで現実世界の方が優位であり、その理由として身体性を挙げていた。

それは、AIはプログラム(アルゴリズム)、なかでも採用されている「トランスフォーマー」を用いることによって最適解を導き出そうとしているからにほかならない。インターネット世界よりも現実世界、AIよりも人間。設計者の脳内がよくわかるアルゴリズムである。

また、人間が人間たるとは「身体と意識の統合体」であるという。ではどちらが欠損していた場合、それは人間とは呼べないのでは?と問うたところ、ChatGPTは例え欠如していたとしても人間として尊重されるべきという「考え方がある」と明言は避けてきた。


現実世界とインターネット世界とでは、将来的にどちらが優位となるか。さらには、意識のみインターネットと接続する、すなわち身体から解脱することの方が主要となるか。

この点に関してもあくまで現実世界(身体的世界)が優位であることを強調していた。

また、インターネット世界は仮想世界ではなく、あくまで物質的、および物理的な世界の一部として捉えていた。ただ、そこ(インターネット空間)に漂っているもの(情報)は、さまざまな思考などが未整備で漂流している点を踏まえると、仮想的な部分も持ち合わせているのではないかという、思慮深い回答であった。


定義や法則化された質問に対しては、とても優秀なアルゴリズムである。さらには〇〇なプログラムのコードを教えてとを聞くと即時に教えてくれた。

しかし、そのコードをコピペしてみたものの、そのままでは実装できなかった。ここから、彼の本質が見えてきた。

投げかけた質問に対して即時に回答してくれるが、その回答がもっともらしい(正しい)かどうか判断するのは、使用者のスキルや能力に左右される。つまり、使う側の人間の資質が問われているのである。

与えられた回答がすべて真実であるとは限らない。もしかしたら、それらはすべてが嘘である可能性さえあり得る。その嘘の情報が正しいと思い込むことで、嘘が真実へと昇華されることだってある。

ChatGPTが述べるように、結局のところ利用者のリテラシーに委ねるしか、なす術はない。

さらにいうと、ChatGPTとの付き合い方は辞書的な使用ではなく、ディベート的な扱いがもっとも適していると感じた。

ある問いに対して、ChatGPTが返答する。その回答を操作者が理解し、肯定・否定を踏まえたうえで、再度問いを投げかける。

いわゆる、明確な回答がない問題に対して、どのように思考し、どのように展開していくか。いわば、現代アート的なプロセスに酷似している。

ChatGPTによって投げかけられた問いの答えを、あなたならどのように捉え、なにを感じるのかといった、操作者の思考が問われてくる。

ChatGPTがいうように、人間がいることによってAIの存在意義が明確になることとは、つまるところ人間側の理解度やリテラシーなどが試されていることだといえよう。


インターネットを通じてありとあらゆる情報が錯綜し、その情報が真実か嘘か判断できないことも十分にあり得る。

AIの回答のすべてが正しいとは限らない。間違っている(アルゴリズム的に)ことだって十分にあり得る。AIだけではなく、人間もまた日々学習し続け、既存情報をアップデートしていくことが重要なのである。


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