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レシートにあとからなぜ買ったのかを書いてみた

5月8日(水)

支出を見直そうと思いまして、とりあえずレシートを溜めて取って置いてました。

しばらくしてから重い腰を上げて、いざ取り掛かったのでした。

何円使ったのかを書き出して計算するのではなく、その商品をなぜ買ったのか、どんな気持ちで買ったのか、その時の自分の状態と向き合う形でを振り返ることにしました。

例えば、じゃがりこじゃがバター味Lと濃いお茶だけを買ったレシートがあったので、そこに直接「じゃがりこじゃがバター味は今ハマっているから、これが食べたくて買いに行った」「濃いお茶はキャンペーンのシールが欲しかったから」と買った理由を書き込みました。

他にもスタバのレシートには、「この日は疲れていて、これが飲みたいというよりも、疲れを払拭するために買った。ストレス発散にあてた」という理由の日もあれば、「今日はこれが飲みたいと思って、家を出る時から買うと決めていた。うれしい」という日もあって、同じお店に行って買っても理由が違う日が当たり前のようにあって、それらの自分の状態で何を買っていったのかをひたすら思い出して書き込んでいきました。

そうすると、絶対これがいいと思って買ったものや明確に必要な理由があるものなどのゼロからプラスになるために買ったものと、ストレス発散にあてたものや不安の気持ちから買ったものなどのマイナスからゼロへと気持ちを埋めるために買ったものとの差がはっきりあるのがわかった。

そうやって見比べた時に、ゼロからプラスで買ったものは振り返ってもしあわせな気持ちになるし、絶対これと思って手に入れたものは見たり使うたびに買ったよかったなと無意識に思っていることに気づきました。

反対にマイナスからゼロに買ったものは、余計なもの買ったな〜とか、買わなきゃよかったかもと反省したりと、全然喜びと直結していないものばかり。

マイナスからゼロに持っていってくれたこと、瞬間的にはよかったのかもしれないけれど、振り返ると持続性がほとんどなかった。

なんならレシートを見るまで思い出せなかったりしました。

そして、そこには値段は全然関係ないことも改めて痛感したのでした。

高いからいいと安いから不満とかでは全くなく、これが欲しいと思ってるんるんで買った110円のボールペンはお気に入りで使うたびに口元がゆるんでいるし、自己投資のためと思っていたのがレシートに書き込んでいくうちに気持ちを炙り出した結果、将来のぼんやりとした不安を埋めたいのと見栄のために受けてたんだと気づいたとある何万円かの講座は、受けたことをどこかでずっと後悔していたことを認めざるを得なかった。

その講座が悪いわけではなく、わたしの動機の出発点が何かを生み出しにくいマイナスからゼロ方向だったから、わたしは受け取れたかもしれない何倍もの成果を得られなかったんだ。

こうやって、お金の使い道をその時の買った理由で振り返ると、生き金と死に金にはっきりと別れていました。

値段の合計額が気にならないくらい、刺さって痛かったです。

買えばいいとか買わなきゃいいとか単純なことではなく、自分の中で必要経費と無駄遣いがはっきりと明確になってしまって、だから支出の見直しをしたくなかったんだなとなんとなく思った。

振り返ってしまえば、そこに気付くしかなくて、なんとなく曖昧にして見ないことにしていたことを受け入れなくてはいけなかったのだから。

だからこそ今回気づけたことで、今度からはこの観点から購入を考えることができるんだなと思えます。

いくらだから買うのではなく、買いたいから買う、欲しいから買う、今の自分に必要だから買う。

そんなふうに動機をその都度確認して、自分のためにゆたかな生き金使いをしていきたいと思うので、重い腰を上げてレシートを見直したのは自分のためになりました。

理由をひとつずつ見るのはまだ少し気持ちが痛いけれど、自分のためのお金の使い方になるのなら、その痛さも受け入れて、最終的に全部にこれでよかったと思えるお金の使い方になるように、よく気持ちを観察していこうと思うのでした。

いい勉強になった。


今日も、ありがとうございました。

まるすけ

ぽかぽかします。