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陽の光を浴びるのがすき

5月6日(月)

太陽の光を浴びている時間が好きかもと気づきました。

ある日があまりにも晴れていて爽やかすぎたので、大きめのほぼ原っぱな公園に行ってきました、日向ぼっこをしに。

連休中だったので混んでいるのを覚悟して行ったのですが、原っぱにはキャンプのテントが少しと、レジャーシートを敷いている人が数組とで、想像していたほど人もいなく、ラッキーと思いながらテキトーな日向と日陰の境目のあたりにお邪魔して座りました。

汚れるとかも気にせず、というか汚れてもいい格好で行ったので直接地べたに座り込んだり、寝転んだり。

目の前に広がってるのは、緑、緑、緑だらけで、あとは雲一つない水色の空。

晴れやかという言葉がぴったりなほど晴れていたけれど、日の角度的には直接あたる感じもなく、強めに吹く風はまだ少し肌寒くもありました。

たまにでかい声を出す遊んでいるこどもたちと、風の音しかない世界の時間は、とてつもなくゆっくりでした。

ここだけ時間の流れがゆっくりだな〜なんて思っていました。

日向ぼっこをしに行ったので、目的は日光を浴びること。

木々が揺れるのを眺めてみたり、近くの草花の写真を撮ってみたり。

ただそこにぼーっと座っているだけでよいはずの時間が、その日はなんだか楽しめませんでした。

緑に囲まれて、何もしない時間最高!なはずなのに、時計が止まってしまっているのかも思うほどゆっくりすぎる時間は、その日には残念ながら合いませんでした。

いつもなら好きそうなのにへんなの〜と思って、予定よりもだいぶ早く切り上げて帰り道もまた緑の中を歩いていくと、ひらけた場所に出た途端、何も遮るものがなく直接ガンガンに太陽の光を全身に浴びられて、今日求めてたのはこっちかと妙に納得しました。

太陽はひとつのはずなのに、明らかに夏の太陽に近づいているその光が、その日はとっても体に馴染んだのでした。

緑がいいという先入観で、きっと緑がいいだろうた思い、その場所にいってエネルギーチャージをしようとしたけれど、その日に欲しかったのは、他でもなくただ太陽を浴びられる時間だったんだと自分で気づけて、ようやく今日欲していたものを自分に与えることができたのでした。

微妙な差だけど、大事な差。

緑のある場所で日向ぼっこを欲していたのではなく、直接感じられる陽の光を浴びたいがその日は求めていたもので、時間と労力をかけて公園に行っても、需要と供給が合っていなければ噛み合わないわけで。

だから、あの日は公園ではずっといまいちだったんだな〜と。

もっと、細かく、細分化して、自分の気持ちを聞いてあげればよかったな。

脳みそ使わずに、晴れてる!公園に行こう!にしちゃったな。

結局家まで戻ってきて、家の前でぼーっと日光浴している時間がその日のいちばんの至福の時間だったのでした。

日焼けとかシミとかな〜んにも気にせず日光消毒してるの最高〜〜〜!

太陽を浴びているあいだに細胞が覚醒する感覚がすき〜!

わたし、ものに遮られずに太陽を浴びられるの実はめっちゃ嬉しいかも、太陽に会えるとテンション上がるもんな〜!

別に緑と太陽の組み合わせにこだわってないもんな〜!?な〜んで気づかなかったんだろう〜!

住宅街にぽつんと現れる太陽の方が好き説あるくない〜?

と、公園でまだ時間が経たない、あんま楽しくない、どうしようかなと思っていたのとは打って変わって、心の声は溢れて楽しそうでした。

結局、太陽の光を浴びられるのが好きっぽいなとなんとなく気づけました。

起きた時に窓を開けて太陽あるだけで嬉しいもんな。

日光を浴びるだけで、体のリズムが整えられる感触がするのも、結構好きなポイントです。

太陽、いつもありがとう。


今日も、ありがとうございました。

ぽかぽかします。