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子どもにとって家の中が安全ってどういうこと?

子どもにとって家の中が安全ってどういうこと?

というのは、私が子育てをする上で
いちばん大事だと思っていることです。

どうしてかというと、
私自身、小学生や中学生、高校生の頃、
家の中で安全だと思え、
ゆっくり息ができたのは、
自分の部屋だけだったから。

じゃあひどい親で虐待でも受けていたのか、
というと、全然まったく、
そんなことはありませんでした。

今考えても、
当時思春期だった私が考えても、
きちんと私を育ててくれた親でした。


だから、小学生の時も、
思春期の時も、
私はすごく苦しかったのかもしれません。

「私の気持ちなんか分からない。」

と言いつつ、頭のどこかでは
親のせいじゃない、
自分の性格が悪いんだ。

おかしいのは自分なんだ。

と思っていました。
だから、もちろん自分に自信がなく、
好きになれるはずもありませんでした。

それでなのか、自分がお母さんになってみて、
子どもに幸せだと感じて欲しい。
という思いが大きくなりました。

そして、子どもに、
自分自身を好きになって欲しい。
と思いました。

私の子育てはこの2つの思いだけでできている
といっても言い過ぎでないほどです。

この2つ、
つまり自分の今を幸せと感じる気持ちと、
自己肯定感。

どうやったら育てられるのか?
このことを、私は15年以上追求し続けています。


みーこが学校から帰ってきて悲しそうな顔をしている時、
「どうしたの?」
とは聞きません。

知りたいけど、ぐっと我慢。

“言いたくないことを話さなければいけない場所”は、
みーこにとって安全な場所ではないから。

おやつを食べるなり、
みーこは私に「ママ、ぎゅうしてよ!」
と怒り口調で言いました。

かわいいみーこ。
ぎゅうっとすると、みーこの体から力が抜けて、
「今日ね、、」と、ぽつぽつ話し出しました。

キンギョの水槽をいっしょうけんめい掃除している間に、
キンギョをきれいな水槽に移動させる子が決まってしまい、
みーこはできなかったこと。

浄水場の遠足でもらったペットボトルをなくしてしまい、
自分のと思われるペットボトルを他の子に取られてしまったこと。

ぐっと唇をむすんで、くやしそうに、
自分の気持ちを話してくれます。

でも私はここでも我慢。

「私もキンギョ移動させたかったよ!ってお友達に言ったの?」
(水槽を洗ったのはみーこなのに)とか、

「せめて先生にだけでも、私のペットボトルがありません
って言ったらもらえたかも」とか、

みーこのくやしさを解決できそうな方法は思い浮かぶけれど、
それは言いません。


だって、その時のみーこを否定することになるから。

だから、黙ってぎゅうってして、
「みーこ、悲しかった?くやしかった?」
って、

ひとりで抱えられなくて
私にぽつぽつ話してくれた、
あふれちゃったみーこの気持ちを、
一緒に味わいます。

だって、みーこは本当は言いたかったはず。

それでも言えないのは、
みーこが、自分が怒ると
みんなに嫌われると思っているから。

いっぱいいっぱい感じる心を持っているのに、
言うのをぐっと我慢して、
我慢して、
家に帰ってきてようやくちょっと言えたみーこ。

よく言えた!って、
もっともっとぎゅううううってしたいぐらい。

そうしたら、「ママ、痛いよ。」って、
本気でいやがられちゃったけど・・。

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