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あふれちゃった気持ちをぎゅっとする

ピッピやみーこと話ししている時、
「〇〇って言われた。・・でもどうでもいい。」
「みーこ、しゃべるの下手なのかな」

なんて、いろんな話を聞いている時に、

「え、しゃべるの下手じゃないじゃん」
とか、
「本当はどうでもよくないから話してるんじゃないの?」

ていう考えが頭をよぎる。
でもその気持ちや考えが頭に居座ったままだと、
ピッピやみーこの話はありのままの形では私の中に入ってこないことになる。

どうしてかというと、
“本当はどうでもいいか、どうでもよくないか”
ということは、ピッピの伝えたいこととは違うから。

だって、きっとピッピは
「〇〇って言われたことは嫌だし傷ついてる。
 ショックも受けてる。
 本当はどうでもいいわけない。
 でも今「どうでもいい」って言わないとやっていられない、
 どうしようもない気持ち」
こそを、聞いて欲しいんだと思うから。


けれども、そんなピッピの気持ちを聞く私たちの中でも
「どうでもいいって言わなくても、何か解決できるはず」
って、解決へと向かってしまう気持ちがいつのまにか生まれてる。
とても自然に、無意識に。

それはきっと
「もうどうでもいい」
の中に、
ダークでいろんな色のついた、
感情や事情のどろどろが渦巻いているのを感じ取っているから。

その渦の中でうずくまっていて動けない本人をちゃんと感じ取っているからこそ、そこに飛び込むのがこわくて、
躊躇してしまって、
感情の渦とは違う方向にある解決へ、
無意識に最短距離を行こうとしてしまう。


だから、私はいつも
本人が「ここまでなら感じても大丈夫」
って線を引いた
「もうどうでもいい」
まで、一緒に踏み込む。

「〇〇って言われたけど、もうどうでもいい。」
っていうピッピのつぶやきに、
「〇〇って言われたの?でも、もうどうでもいいんやね。」
って。

そして、
ピッピの背中の横で床に座ったり、
ピッピの手をぎゅっと握ったり、
ぎゅうしたり、

一緒に、ピッピのしんどい渦を感じる。
ゆっくりした二人の時間。

ピッピに、
「一人じゃないよ」
「どんなにしんどくても、そばにいるよ」

って伝えたくて。





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