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日記:ぶちまけたかったはずの愚痴は出なかった

インターネットって本当にいろんな使い方ができて、最近はワールドカップの興奮をツイートしたりストーリーに載せました。僕は日本の板倉滉選手が一番好きです。
ちなみにちょうど今アルゼンチンがクロアチアに勝ちました。
 
反対に、ワールドカップについてレスバしてるのもめっちゃみる。森保監督続投は僕はあんまり賛成してない。ここで引退したら伝説になるだろうな〜とか思ってる。


そんなインターネット、日常上で絶対に口に出さない愚痴や弱音を吐いている人間も存在する。僕もたまにやる。

日常で言えないからこそネット上で文字に起こすのは間違ってはいないと思う。実際に文字起こしして頭を整理するのは正しいストレスの対処法なので。
 
ただ、インターネット上、まして鍵のついてないアカウントは大声で喋っているのと大差ないと考えている。
要はそれが大声で周りに聞こえているという話。
僕はこの理由で、あんまりネット上で愚痴や弱音を吐くのは好きではない、という話。
 
鍵がついてるアカウントで叫べばいいじゃん、と思う人もいるかもしれないがそれはそれで『誰かにこれを聞いてもらいたい』という拗れた承認欲求を満たせなくなる。
 
『今バッド入ってるのでミュートしてくださ〜い』という配慮がしている人間もいる。
こういう人間は優しいし賢いので病んでるんだろうな〜と思いつつ、『ミュートしたらバッドから出たタイミングがわからないし、わざわざプロフィールまでいって抜け出したのみて解除するのめんどくさくね?』というよくわからない感情になる。


僕も鍵アカウントを一応持ってはいるし、ネット上でうわ〜んってなってる友達もいるのでふと思ってしまった。
ただ、バッド入ってる友達を見ると感情移入しちゃったり、自分がバッド入った時にこれって友達にただ不幸自慢してるだけなんじゃないか?と考えることも最近増えた。
SNSのいいねとか承認欲求も絡まるとこういう考えになるの、現代人こその病かもしれない。


インターネットなんて結局自由に使えばいいんだよな!!!バッド入った時に優しくしてほしい人もいれば、ほっといてほしい人もいると思うので結局、答え存在しないやんけ!!!という結論でしめたいと思います。
前述の通り、愚痴や弱音を文字起こしするのもれっきとした対処療法なので誰かに迷惑かけなかったり、愚痴が本人の元に届かなかったり、炎上しなければなんでもいいと思います。


ぶちまけたかったはずの愚痴は出なかった

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