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気を遣う話

やはり人間と関わらないとnoteに書くことないな〜と思う日々です。僕です。
外に出るとよく人間と出会うのですが、よく『人間が愚かだ』と思います。
こういう風に思っておくと何か失敗した時に、『俺も人間だからな』と思えるんじゃないかと思っています。リカバリー。



親しき仲に礼儀ありまくり


「親しき仲にも礼儀あり」という言葉を作った人、めちゃくちゃキレたんだろうな。みたいな話を聞いたことがある。何があったのか気になるな。誰が作ったんだ。

僕は中学生時代の友達と仲良くなりすぎて、高校に入った瞬間周りの人とコミュニケーションが取りづらくなったという過去があります。完全に俺のデータにない人間ばかりだったので、様子見をしつつ気付いたら高3の秋だった。

ようやく立ち回りがわかってきたと思ったら高3の秋だった。俺まだ15歳だと思ってるんですけど。

もっと心開いてけばよかったのかというと、実はそうでもないんじゃないかと思っている。仲良くなるのに時間がいる人間がたまたま近かっただけかもしれない。とか、そんな感じで諦めることにしています。
人間諦めが肝心らしい。これも誰が言い出したんだろう。多分めちゃめちゃ悔しかったんだろうな。



気遣いに気付かない


正直、気を遣われるのって嬉しいし悲しいことだな〜〜と感じました。
相手にとって『気を遣うほどには貶されていない』のは嬉しいけど、『気を遣うほどには仲良くない』という感じがします。これが難しい。
知り合い以上友達未満みたいな。場合によっては友達以上親友未満だったりする。この辺が人によるので更に難しい。ふざけんな人間。


別に気を遣わずに、『当たり前じゃんこんなの』といってやるようなことも、周りから見たら気を遣っているように見えることもあるのです。でもそれは、お前の育ちがいいだけなので胸張っていいと思います。

逆に、『俺、気遣われてる…!?』となることもたまにあります。相手が育ちが良い素敵な人なのはわかるんですが、こういうのを仲良い(と思ってる)人にちょっとされると距離感が掴みにくくなる。どうすりゃいいんだよこれ。と悩んでいる。

でも「親しき仲にも礼儀あり」らしい。訳分からん。ふざけんな。


何が言いたいのかというと、『結局人によるんだよな〜〜〜!!!』という結論に辿り着いたこと。世の中、知らない人間がたくさんいるらしいことを最近知った。多様性。『あっそうなんすね』みたいな。

「一石二鳥」と言う人もいれば、「二兎を追う者は一兎も得ず」なんて言う人もいる。
「善は急げ」「急がば回れ」なんてこともある。ふざけんな。

これって多分同じ人が作ったわけじゃなさそうですよね。同じだったらぶっ飛ばしたい。

『あっそうなんすねあはは』みたいな目線でいると理不尽の4割くらいは沸点上げて世の中を見れるんじゃないかと思って生きています。先入観とっぱらって、何にも動じずに世の中をもっと長い目で見れたらいいなと思っている。


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