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『わんだふるぷりきゅあ!』刮目せよ、この奇なる女児アニメを

次は誰が(何が)プリキュアになるんだ?

ついに21年目に突入した国民的女児アニメこと、プリキュアシリーズ最新作『わんだふるぷりきゅあ!』をあなたは観たか?

魔法少女というジャンルでは野心作とも言うべき初代『ふたりは』から、戦隊モノに舵を切った『5』、それ以降は標準的女児アニメとして、ときには実験的要素を取り入れつつ、あらゆる価値観を習合させながら、日曜朝8時30分を誰に譲ることなく幾星霜……そんなプリキュアシリーズは今期、新たなステージに到達した。

2010年代以降、公式サイドがあらゆる属性のプリキュア化に旺盛であったことは明白だろう。初期における妖精やら敵幹部やら高校生やらはもとより、アンドロイド、宇宙人、社会人そしてついにはすらプリキュアになれる時代がやってきたのだ。

もうこれ以上はないだろう。この中に、まだ己がプリキュアに成れていないという不満があるなら挙手して前に出ろ。変身バンク作ってやっから。そんな公式の度量をして、まだ包摂し得ない領域があったのだ。「動物」である。

犬! その手があったか

物語の序盤を説明すると、まず主人公・犬飼いろはの住む町(アニマルタウンとかいうストレートなネーミング)にガルガルなるモンスターが現れる。いろははその場にいた小さな子供を守るため、果敢にも己を囮にしてガルガルをおびきよせる。

標準的プリキュア文脈だとここでいろはが変身する。しかし実際に変身したのは彼女ではなく、彼女が飼っているパピヨン犬・こむぎであった。誰かを守ろうとする少女を守るためにペットがプリキュアに変身する。刮目せよ、このワンダフルな展開を。飼い主とのかけがえのない思い出が走馬灯のように蘇り、涙を溜めたパピヨン犬が悲壮な決意のもと、光に包まれ変身していく――ここに、モチーフでなしにガチな犬としてのプリキュアが誕生した。してしまった(一応飼い主も次の回で変身します)。

なぜ犬なんだ

とまあ、ここまでは放映以前から公言されていた内容であって、ご存じの方も多いだろう。そこで約2ヶ月が経とうという今、あらためて本作のテーマを考えたい。そしてなぜ、正真正銘の犬がプリキュア足り得たのか。そのヒントは公式サイトの「おうちのかたへ」というページにある。以下、その一部を引用する(こうした保護者への直接的な呼びかけがなされているのも本作の特徴だ。しかもスーツを着た鷲尾Pの写真、およびコメントまで掲載されている)。

「わんだふるぷりきゅあ!」とは

シリーズ最新作は、主人公が飼っている犬・こむぎが人間の姿に変化し、
人間の言葉で飼い主であるいろはと会話をする。
そしてお互いの想いを伝えあい、より絆を深めていく物語です。
昨今、ペット・動物は身近な存在となりました。
「家族」であり、「ベストフレンド」となる関係は、人も動物も変わらない。
現実世界では、動物と人間は言葉を交わし合うことはできませんが、
大事なのは、相手のことを知ろうと努力すること。
その先に、相手の幸せを願う「思いやり」が生まれるのだと思います。
そして何より大事なのは、気持ちを押し付けず、理解し合うことです。
幼いころにあこがれた「ペットとのおしゃべり」という交流の物語を通して、
お子さまに「相手を思いやる気持ちの大切さ」を感じていただければ。
そんな願いを込めて、「わんだふるぷりきゅあ!」をお届けしてまいります。

わんだふるぷりきゅあ! | 東映アニメーション公式サイトより 強調は筆者によるもの 

おそらく動物愛護は本作のテーマとして主題ではない。女児向けアニメとして最低限のそういうテーマは扱うだろうが、このコメントから読み取れるキモの部分は「家族」であり「ベストフレンド」という関係性である。

プリキュアがシリーズとして長年、何かに向かって一生懸命頑張る少女を成長物語として描いてきたことには誰もが同意するだろう。しかしそれは一個人の成長ではなく、他者との関わりの中で育まれる友情であり、かけがえのない献身があって成り立つ物語だ。過去作品のタイトルから引用すれば「ともだち」の存在がプリキュアには不可欠なのである。そして新しい「ともだち」としてペットに白羽の矢が立った。そういう経緯ではないかと想像している。

そう考えるとペットのプリキュア化も子供には刺さるのかも知れない。なにせ、小さい子供にとってペットは兄弟姉妹に準じた存在と言っていい。彼らにとってペットは、責任持って飼育する対象であると同時に、被扶養者という意味では親や社会への目線を共有する同胞のような存在だ。

大友の現実を考慮?

で、以下はちょっと余談的な考察だが、「21年目」という前提でなされたこのコメントも、考えようによっては現代の「おうちのかた」の諸事情を色々考慮した結果なのかもしれない。つまりこの「おうちのかた」に大友が含まれているという見方だ。

悲しき現実として、大友の唯一もしくは主要な家族がペットだというパターンは十分想定され得る。そうでなくても少子化だし。「準家族」としてペットを迎えている若い夫婦も少なくなかろう。

『オトナプリキュア』が視聴対象として明示した通り、21年目を迎える本シリーズには初期リアタイ世代にして現役大友という御しがたい人々(すみません)をファンとして少なからず抱えており、彼らは市場において無視できない影響力購買力を備えている(人のこと言えないけど)。

余談の余談だが、筆者は『オールスター F 』を二回観たが二回とも周辺は全員大友だった。まあ地方ってこんなもんかもしれんが)

まあ筆者が半ばそういう感じなので、そういう感覚で言っちゃうんだけど、実際そうでしょ? みなさん。違いますか、そうですか。わかりました、この話はもうやめます。

7話までの総括と懸念

話を戻すが、ペットを「ともだち」として捉えることは公式が真面目に考えた結果であって、意外性狙いではないのだろう。それは序盤の描写で十分にわかる。

第1話から第7話まではいろはとこむぎの関係性に重点を置いており、学校の描写すらなければ、定型的な決め技すらなかなか出てこない。

そこでは彼女たちの「飼い主とペット」という現実の関係性をふまえつつ、それが「ともだち」のそれとして昇華させていく流れが地道に描かれており、決して奇をてらって犬をプリキュア化させたわけではないことは、ハッキリ伝わる。

ただ懸念されるのも同時に、やはりリアルな犬をプリキュア化させたこと自体にあり、つまり動物に人間的心情を代弁させていることだ。これはあとあと足かせになりそうな気がする。

決定的なのが第7話で、ここでこむぎはガルガル化したライオンを前に小型犬の自然な反応として、初めて恐怖の感情を覚えてしまうが、いろはを助けたい、守りたいという一心で、犬としての生物的本能を克服して「ともだち」として立ち上がり、ここに初めて二人の合体技が生まれる。

言うまでもなく動物をペットとして飼育するのは人間側の都合であって、彼らは持って生まれた野生をその環境に幾分か適応させているに過ぎない。筆者は子供のころ保護猫を飼っていたが、彼が最後まで一番懐いていたのは毎日餌をくれる母であって、保護してくれた父ではなかった。まあ犬と猫の違いはあろうが、少なくとも第7話のこむぎの超克ぶりはちょっと犬という生命体の枠を超えているような気がする。

もっと言えば、まだ10話に満たずして、こむぎは犬というより「犬型の妖精」に近い存在になりつつあるように思える。オープニングで演出されるとおり、本作の敵は抱擁すれば鎮静化する程度の対象であって、むき出しの「野生」を体現する存在ではない。ここまでの印象として、本作のペットはかなり人間的だし、ガルガル(ニコアニマル)はペットのように行動している。

女児アニメにそういう注文をするのもどうかとは思うが、犬飼こむぎが「ともだち」としての極、野生動物がもうひとつの極だとすれば、ペットとしてのこむぎはその中間に位置している。前者のみ描写して後者を無化した展開は、パピヨン犬としてのこむぎの存在感そのものを希釈させてしまいかねない。なら妖精でよくない? というツッコミも生じうる。

おわりに

まあまだ40話くらいあるので、そのへんもおいおい描かれていくのだろう。馴染んで喧嘩して仲直りしてピンチからのパワーアップで販促、という流れを毎年同じようにやる必要もない。オープニングに出たキャラはいまだ全員出揃っていないが、ゆったりとした低刺激な展開も作品の個性。気長に楽しみたい。

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