セーラームーンミュージアムに行って武内先生の原画を見た。良かった。
先週、福岡市博物館で開催されていたセーラームーンミュージアムの最終日に行ってきた。今後別の会場でも開催される様子なので、検討している人の参考になれば幸い。
当日の様子
最終日ということもあってか、思っていた以上に人が多かった。ほとんどが女性だが、リアタイ世代と思しき人たちだけでなく、若い層も多かった。いやリアタイ層も若いよ。怒るな。あと、その連れの男性客もチラホラ。外国人観光客も結構見受けられた。
男単独でこの場に混入しているのはワシくらいだった。当たり前か。以下感想を書くが、各ゾーンの名称はワシが勝手に付けたものなのであしからず。
出待ち巨大月野うさぎ(写真動画可)
今回の好きな絵の一つ。セーラー戦士の衣装に黒マントはカコイイ。女性ファンからも「かわいい」「きれー」とご評判。この直前に妖しげなスダレがあってそれも良かったが、人が多くてスダレ単体で撮れなかった。雰囲気メロメロで良かったので、動画とかで検索してみてください。
ホログラム原作ゾーン(写真動画可)
いまさらすぎて恐縮だが、武内先生の絵柄がアニメのそれと全く異なっていることに驚く。最近のいかにも画力! という感じの絵と比べると実にあっさり。可憐かつ凛々しい画風というのが率直な印象。これが「美少女戦士」の本質なのだろうなと勝手に納得する。ホログラムは綺麗だったが、いかんせん元の作画が白っぽいので光の反射で見えづらい。ここでも女性ファンからも「かわいい」との声が方々から。
変身バンク&武器庫ゾーン(写真可 動画不可)
武器庫ゾーンというのは勝手に名付けた。室内中央のスクリーンにセーラー戦士の変身バンクが定期的に再生されている(権利関係によるものなのか、音声はない)。その左右に変身アイテム、武器がズラリ。結構迫力がある。よくアクション映画で吹っ飛ばされた敵がさりげなく使ってきそうな、あのレイアウトである。ここでも女性ファンの反応「かわいい……」マジっすか?
アニメゾーン(写真動画可)
ここから自分が知っているセーラームーンのエリア。あーそうそう、この艶かしい作画よ。肉感的な線画、コッテリした彩色、セラムンというか、90年代のアニメ臭がどっと押し寄せてくる。まだセーラー戦士が三人時代のポスターなどもあり、かなり貴重なのでは(複製印刷だとは思うが)。
基本的には各シーズンのポスター、セル画、設定画の複製が羅列してある。リメイクである『 Crystal 』以降の作品も列せられていた。このあたりから「かわいい」だけではなく「なつかしー」あたりの反応が増えていく。
基本的にはアニメこそ元女児の共通体験になるのだろう。漫画と違って時間的同期性もある。土曜夜7時から見ていた、というくだりから思い出話に花が咲いている模様だった。
解説などはほぼ無し。個人的にはボツ画とか、各作画監督の違い、演出の意図とかもあれば嬉しかったが。微妙にプリント壁がヨレてたのが気になる。
玩具ゾーン(写真動画可)
いったいセーラームーンはどれほどの玩具を売り上げたのだろうか。ここも90年代を色濃く感じたゾーンで、セーラームーンの名を冠したモノがズラッと羅列している。アニメを見た女児の親がおもちゃを買うことで、このジャンルは成立している。それは今も変わらないが、純粋に一作品あたりの市場規模ではセーラームーンに勝る女児アニメはそうそうないだろう。プリキュアだって基本毎年変わるものだし。
アニメも漫画も「リマスター」が利くが、モノはどうしても劣化するし、壊れるし、散逸する。それゆえにこのゾーンは非常に貴重だ。歴史の証人である。
部屋のど真ん中には等身大衣装もある。こういうのも売ってたんだろうか? このエリアは反応がまばらというか、まあ親の経済事情とかもあるよねと。ここでも解説はほぼなく、単に玩具が羅列してあるだけ。各商品の意図や売上も書いてくれると嬉しいが。
ミュージカル衣装ゾーン(写真動画可)
女性ファンの「かわいい」が最もこだましたゾーン。やはり「着る」という行為が彼女たちの眠れる憧れを喚起するのか。ファンは誰も着ていない衣装にセーラー戦士を見出し、そして自分を重ねるのだ(たぶん)。セラムンミュージカルが幾度か開催されていたのは知っていたが、ディナーショー的な催しもあったとは。あらためてセーラー服がそのまま戦闘服という、記号的強さを思い知る。これであなたもセーラームーン!
武内先生の原画ゾーン(写真動画不可)
個人的に見てよかったと一番感じたゾーン。月並みな表現だが、どの絵も美しい。表紙として大量複製される前には、武内先生自身がその肉体を使ってセーラームーンを描いていた。このゾーンはその確かな証明である。
今回このミュージアムに行ったのは、以前観た『セーラームーン Cosmos 』の閉塞的な美意識に感銘を受けたから。でももっと言えば、その作品の大元である「原作者」に出会いたかったからだ。
漫画もアニメもあらゆるグッズに印刷されているイラストも、突き詰めると必ず誰かが肉体を使って描いている。その絵がそこにあるのは、有名無名問わずして、描いた誰かがこの世に存在したからこそである。
これはつい最近までは言うまでのない当然のことだった。最近までは。
やがて絵はデジタル化され、作画工程は工業化されていった。過たず弧を描く曲線、領域で調整される彩色、それらは階層化され構造化されていく。それでも作画の起点自体は「肉体」にあって、作画工程は個人の内製にとどまっていた――だが、近年とうとうその前提すら崩れようとしている。
当時の漫画・アニメ業界において現場の仕事がどれほど肉体を酷使するものであったか知る由もない。苦労知らずの門外漢の言い分と言われればそれまでだが、より「肉体」が関与していた時代だからこそ表現し得たものがあったはずだ。それは図らずもセーラームーン自体が、『 Crystal 』で旧作との比較において表明してしまったように思う。
話を武内先生の絵に戻す。昨今の漫画作画、それどころか数多の「絵師」を比較しても武内先生のそれは、少女漫画であることを考慮してもかなり素朴なほうだと思う。だがその単純な線、繊細な色使いには、とにかく線に線を重ねた「神作画」では表現し得ない繊細な世界観が表現されている。時代を代表する作家に対して畏れ多い表現だが、武内先生の作画にはいい意味で「巧さ」への執着がない。
武内先生の絵において、線は色を隔てる境界線ではない。色は線の中に、ある程度閉じ込められてはいるが、線はまるで浸透圧を備えるかのように、色がそっと滲み出しそうな想像を見る者に許している。陰影は過度な立体感を訴えない。体のラインや表情には優しさはあるが媚びたものはなく、どこか凛々しさ、気高さが漂う。どこか幽玄的ですらある雰囲気を、凛々しく、尚武な気質が貫く。「美少女戦士」の根源がこの線であり色なのだろう。
などと五流評論をつらつら書き連ねたのは、このゾーンに限って写真動画完全不可の美術館モードだったためである。まあ盗み撮りした画像から複製画を作るような不届き者もいるのだろうが、このゾーンについては武内先生と直に向き合ってほしいというメッセージだろう。
おわりに
再入場不可の 2000 円という価格が高いのか安いのかはよくわからないが、個人的には資料性の低さや、アニメ作画が複製メインであったのはやや不満ではある。だがメインの女性ファン層からすれば、過度な説明文や、私のような「肉体」へのこだわりは蛇足で、むしろ雰囲気を損なう不純物なのかもしれない。ここは手を後ろに組んで、物知り顔でフムフム頷くような場所では無いのだ。自分は武内先生の残した「人間の痕跡」に触れることができた。それで満足できた。
このミュージアム、大阪、名古屋でも巡回する予定らしい。あの耽美な世界観を思い起こし、誰かと語り合うには十分な空間だったと思う。ファンの方は足を運んで損ではないだろう。
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