じぶんとおしゃれの関係
日常生活のなかで「趣味はなんですか?」という問いがあったとき、
「食べること、写真を撮ることです。」と答えている。
でも本当は、おしゃれすることも好きだ。
人に言ったことはない。
口に出してしまうと、自分のセンスが問われそうで怖いから。
だから、おしゃれをして好きな映画の主人公になりきって街を歩くという、とても人には言えない趣味を密かに楽しんでいる。
小学生の頃から内向的で自分に自信がない私だったが、
おしゃれをすることによって自分に少し自信が持てるようになった。
外見に自信がつくというよりも、憧れの対象に近づくための努力や行動が「自分にもできるんだ」という内面の自信に繋がった気がする。
そんな自分とおしゃれの関係をずっと書いてみたかったので、小学生から振り返ってみようと思う。
ギャルに憧れた小学生
モデルに憧れた中学生
古着女子に憧れた高校生
明るいノリに憧れた大学生
知った社会人から現在
ギャルに憧れた小学生
図書館で借りた本を読むのが好きだった低学年。お小遣いが貰えるようになった高学年から漫画にはまり始めた。
そしてその頃から一気に視力が低下し、眼鏡をかけることになった。
眼鏡屋さんで母が選んだのはフレームが丸い眼鏡だった。丸い眼鏡は今でこそおしゃれでかけている人も多いが、当時の丸眼鏡は地味顔の私に拍車をかけて地味にさせた。
そんな丸眼鏡の私だったが、漫画『GALS!!』に夢中だった。
題名の通りギャルたちが主人公の青春漫画なのだが、なんといっても着ている洋服や小物が魅力的だった。
特に私はスポーツカジュアル(略してスポカジ)ファッションに憧れた。スポカジを目指すべく、洋服を買ってもらえるお出かけの際には、当時大流行だった『PIKO』が入っているお店に連れて行ってもらった。
絶対に必要だったのは厚底サンダルだった。『GALS!!』のギャルたちに厚底サンダルはマストだった。
母に新しいサンダルが欲しいと頼みに頼んでお金をもらい、1人で近くの『しまむら』に走った。
前々からねらっていた厚底サンダル。
白で淡い水色とピンクのラインが入っていたのを今でも覚えている。
母と一緒に行くと、反対されて買ってもらえないのはわかっていたから、
勝手に買ってしまえばこっちのもんだと勝手に買って帰ってきた。
幼い頃から、表面的には出さないが静かに暴走するタイプだった。
こっそり玄関の隅に置いたものの、当たり前だがすぐにばれて
「返品してきなさい!」と怒られた。
それでも本当に返品することはなく、念願だったスポカジコーデが完成した。
近所の文房具店には前髪をシュシュで結び、白いティーシャツに赤のショートパンツ、足元は厚底サンダル、そして丸眼鏡の私がいた。
私は大満足で文房具を選んだ。
モデルになりたかった中学生
通っていた中学校は指定のスクールバックはなく、リュックでもセカンドバックでもよかった。
入学する前にかわいいバックを探し求め、『PIKO』のセカンドバックに決めた。『PIKO』のロゴが入っていて持ち手が赤でおしゃれだった。
買ってもらったはいいものの、派手だと先輩に目をつけられたらどうしようと急に恐くなり、しばらく持ち手を隠しながら登校した。
部活はテニス部に入部した。
眼鏡だと危ないからとコンタクトをすることになり、とうとうあの丸眼鏡とさよならした。
その頃お小遣いの使い道が漫画からファッション雑誌に変わり、表紙のモデルさんに一目ぼれした『nicola』を買うように。
一目ぼれした表紙を飾っていたのはガッキーこと新垣結衣だった。
当時から本当に可愛かった。
雑誌で見るガッキーのように前髪をぱっつんとそろえて、耳のわきで2つ結びをするのが定番になった。朝から分け目をきれいに分け、乱れないようにきつく髪を結ぶのにかなり時間を費やしていた。
雑誌には可愛いモデルさんたちが着ている可愛い洋服や小物で溢れていた。
リアルに存在するブランドたち。
住んでいる田舎にも小さなデパートがあって、そのデパートにはいつも雑誌で見ているブランドが1つ入っていた。
そのお店に行けるのが楽しみだったが、気軽に買ってもらえる価格ではなかった。
当時、クラスの女の子たちの間では人気ブランドのショップバックに体操着などを入れて持ってくるというのがステータスだった。
私のゲットすべく、お正月に貰ったお年玉を持って乗り込んだデパート。
暖房が効いた店内で汗をかきながら必死に選びに選んだ洋服。
念願のショップバック。
あの時のショップバックはずっと捨てられなかった。
今だに続いているショップバック収集はこの時が始まりだったのかもしれない。
2年生後半になると雑誌『Seventeen』を買うようになった。鈴木えみ、榮倉奈々や北川景子、水原希子など今をときめく有名人たちがこの雑誌からデビューしたのだ。
読者モデルの人たちがお手頃に手に入るお店を紹介してくれることで、洋服を買うお店の範囲が広がった。デニムジャケットとデニムスカートにウエスタンブーツを合わせるというウエスタン過ぎるコーデも雑誌から学んだ。
そして私はあることに手を出してしまった。
Seventeenモデルに応募したのだ。
当時身長だけは高かった私は、何を血迷ったか自分もモデルになれるのではないかと雑誌の募集用紙を切り取った。
家族には知られたくなかったので、家族が留守なのを見計らい、募集要項の通りにTシャツにショートパンツに着替え、全身が写るようにデジカメをセッティングした。バストもウエストもわからなかったので空欄で応募した。
もしかして二次審査への通知が来るかもしれないと本気でドキドキしながらしばらくポストを確認していたのが恐ろしい。
またもや静かに暴走していた。
古着女子に憧れた高校生
高校に入学すると衝撃を受けた。
紺一色の制服のはずなのに、なんとカラフルな人たち。
先輩たちは髪色、ワイシャツの色、セーターの色、靴下の色までカラフルだった。
自由な校風の高校だったため、おしゃれが好きな人たちは自由に楽しんでいたのだ。
私の家は髪を染めるのがダメだったため、代わりにパーマをかけることにした。
初めてのパーマは思い描いていたふわゆるパーマではなく、くっきりウェーブのなんというか、パーマネントだった。
2年生にかけては古着系のファッションが好きになった。雑誌のモデルかのようなかわいい同級生の女の子が古着を制服にも取り入れていたのだ。
彼女の制服アレンジをまねようと、古着屋さんで薄い水色や薄ピンクのワイシャツを買い、一番上のボタンもしめて着るいう制服アレンジをしてみた。
だけど残念なことに、地味な私がやるとただ真面目に制服を着ているだけの生徒だった。
修学旅行は気合が入っていた。なんといっても女の子たちはどの場面においても写真を撮ることはかかせなかったから、私服で旅行なんて普段よりも撮る・撮られる機会も多くなる。
おしゃれな格好で写真に残らなねばと、古着屋さんを何件もまわり、何着かゲットした。
覚えているのは、和柄の風呂敷のようなスカートと、ベージュのベスト。
Tシャツにベスト、風呂敷スカートを組み合わせた古着コーデ。今写真で見返すと、思いっきりダサすぎる。
この格好で旅行先の海をバックに友達と写真を撮り、当時憧れていた先輩にいきなり写真を送りつけた。
高校生になっても静かに暴走していた。
3年生になると、森ガールと言われるナチュラル系に移行したため、風呂敷スカートたちは部屋の奥底にしまわれた。
明るいノリに憧れた大学生
大学はスポーツ系の学部に進学したため、学部の子たちはスポーツカジュアルな服装が多かった。
『THE NORTH FACE』や『Gregory』『CHUMS』といったスポーツブランドを身に着けたカジュアルな服装は、
明るくてノリの良い子たちにすごく似合っていた。
そんな彼女たちを見て、私も大学生活を明るく楽しみたいと思った。
小学生の時に憧れて以来のスポカジの再来だ。
私もスポーツブランドの上着、デニム、スニーカーとリュックといったスポーティーな恰好をするようになった。
段々と今まで家族や特別親しい友人の前でしか出せてこなかった自分の活発な部分を周りに出せるようになっていった。
洋服によって世界は広がるんだと素直に感じた。
大学3年の冬、広がった世界は真っ黒になった。
就職活動が始まったのだ。
説明会には真っ黒の人々で埋めつくされていた。
黒いリクルートスーツに黒のパンプス、黒いバック。
中学校のバックを選んでいたあのワクワク感はなく、どれも同じに見えたのでどれでもよかった。
時々、素敵なスーツを着ている人を見かけたが、就活の波に浮いてはいけないと黒のスーツで夏まで過ごした。
無事に就職が決まり、同期になるメンバーの初顔合わせという日、明るいグレーのパンツスーツを着ている女の子がいた。
黒いスーツの中に、グレーのスーツは目立っていて本人もすごく堂々としていて、かっこよかった。
知った社会人から現在
会社での服装は私服だったが、いわゆるオフィスカジュアルという服装の女性がほとんどだった。
私もベージュ、ネイビー、グレーなどの色を選んでいた。
初顔合わせの際にグレースーツを着ていたあの同期は、赤色など遠くからでもわかる色をいつも着ていて笑い声もよく聞こえていた。
ある日その同期に誘われ、初めてジェルネイルをしに行った。
初めてのジェルネイルは目立たないよう、薄いピンクのワントーンネイルだった。価格範囲内だったラインストーンもお断りした。
でもパソコンのキーボードを打つ毎日であったため、ピンクのつるっとした爪が常に目に入り、仕事のモチベーションが上がった。
こんなワンポイントで気持ちが上がるのかと驚いた。
それ以降ネイルにハマり、デザインを持ち込んでお願いするまでになった。
洋服だけではなく、手元といったワンポイントでもおしゃれを楽しめる方法があるのだと発見できた。
今も徒歩数分のスーパーに行くだけでも自分のためにお気に入りのものをどこかに身に着けるようにしている。
今まで『漫画・雑誌の女の子』や『自分の周りにいる女の子たち』に憧れて、自分もおしゃれになりたいと行動してきた。
振り返ると、友達にかわいいと言われると嬉しかったし、おしゃれと思われたいという気持ちが強かったなと思う。
けれどネイルをきっかけに、
人から見られていなくても、
おしゃれは自分のための活力だと気づいた。
よく耳にするフレーズだけれど、「自分のためにおしゃれをする」だとわかった。
そして小学生の頃から静かに暴走しがちであったけれど、行動をする勇気をもって行動できるようになったのは「おしゃれをしたい・おしゃれをした」からだと感じている。
おしゃれは意外と深く気持ちの面でずっと関係していたのだ。
これから年を重ねていくなかでも、
この気持ちを忘れないで自分のおしゃれを楽しんでいきたいなと思う。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?