このわたしはアバター☆
瞑想などをして変性意識に入ると、わたしたちの意識は万物に宿ることができる
もしくは夢の中でそういう体験をすることがある
どっしりと伸びる木になったり、身体の隅々まで浄化させる滝になったり、歌謡い内なる子供をなだめるクジラになったりした。
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夢の中でバケモノになったことがある。笑
明晰夢だった。
夢の中でわたしは歩いているが体感がおかしい。
いつもより小さな身体のようで
しかも脚の長さが左右で違って歩きにくい。笑
鏡を探して覗いてみると、そこに映ったのは
黒いボロ頭巾を被ったバケモノだった
脚は細長くボロ木のよう
こりゃ歩きにくいわな。
AIが創ったジェネレーションアートみたいに
目がいくつかあるけど、うにょーんと流動的に
目がひっついて1つに纏まったり、離れて増えたりする
『うーん、、、これが自分…』
『まあでも、よく見ると可愛く思えてきたな(釣りの餌にされてしまったゴカイみたいに…)』
『でも人間の女の子の自分のほうが可愛いかな』
特別華があるわけではないが、自分の身体、容姿が
すごく可憐な特性を持っているように思えてきた。笑
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わたしという現象の発生点に近づいていく
外に見える世界→私(人間の女の子の)姿や思考→潜在意識(無意識や夢の領域)→真我(ひとつこの世界を眺める眼差し、点から発せられる光)
↑本当はもっとたくさんの意識領域があるのだけど
わたしたちの本質、スタート地点は
ひとつの点であり、その点は眩く光を放っているように感じられる
それが存在する、在るということそのものだと感じる
その光であり、ひとつの眼差し(意識)は、様々な体験をするために、様々な条件下にみずからを縛る
その中のひとつが
この『人間の女の子のわたし』なんだと思う。
本質の眼差しを一度体験すると、自分という存在の純粋さが腑に落ち、容姿や性格などの細かいことについて気にならなくなった
どうせだったら、この人間の女の子エディションの自分を
この条件下、この特性上でしか出来ないことをしようと思えた
この身体が消えても、この原点は消えないと識った
この複雑な宇宙と地球、社会に弄ばれながら
今ここを受け容れて存分に生きようと想う。
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