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日記/ やきにく

 同居している妹と焼肉を食べに行った。

 店に入り、傘を畳んで傘立てに置き、席に案内される。韓国の外食文化の影響か、焼肉屋であろうとも内装の煌びやかさや、さまざまなサービスから成る「非日常的な体験」を重視したお店が近頃は増えた。が、今回入ったお店は、かなりトラディショナルというか、国道沿いのジャパニーズサブアーバンライクなしみったれた、いつか慣れ親しんだ雰囲気が気の置けない、心地の良さを感じさせるお店だった。メニューにも、余計に奇をてらったスタンスは、見てとれない。

 慌ただしくホールを回る店員のお姉さんに、サッとオーダーを伝えてしまい、すぐさまやってきた、分厚く細かな傷のついたジョッキのキリンで、妹と乾杯をする。質実剛健、という形容が店構えと同じくよく似合う、ステンレスのプレートに載せられ運ばれてきた肉を、金色の丸い枠で囲まれた網の、よく火の通りそうな中央のあたりに集めて広げ、ガス火のタイトな勢いで薄切りのタン肉を焼き始めて、ふと思い出した。

 そういえば、わたしは焼肉が嫌いだった。こうして、自分が食べるためのものを、わざわざ自分で焼く、という作業がとにかくめんどうで仕方なく感じる。

🍖

 たいていの人は、焼肉屋に一人で来ることはない。そうしたマーケットにむしろフィットし、ニーズを煽るタイプのお店も増えてきてはいるが、肉が食べたければ、わたしはステーキが良い。ステーキを選ぶ。必要な肉の量を店員さんに告げれば、プロの手でしっかり火を通し、調理した上でテーブルに並べてもらえる。ステーキを食べるときには、わたしはただ、待っているだけでいい。

 焼肉屋は違う。焼肉屋に来たからには、家族や友人や同僚と網を囲んで談笑しながら、ときおり肉をつついて、つまんで酒を飲む。これが焼肉の楽しみの核にあるものなのだろうが、喋りながら肉を焼いていると、わたしはほぼ確実に、焼き加減をまちがえてしまう。焼きすぎて焦げた肉のあの、歯に硬くぶち当たる、あの、予期せぬざりっとした食感。とがった苦味。肉にも申し訳なく、これだけは避けるようにと、会話もそぞろにちらちらと、肉の焼き加減を執拗に窺い、そわそわと肉を網からすくえば、まだ生焼けの、まるっきりぬるいピンク色の仕上がりだったりする。これを食べては、おいしくないどころか、きっと危ない。

 しかし、このピンクのふにゃふにゃをそのまま網の上に戻そうとも、おそらくわたしは、今度は忘れ去る。忘れ去ってまた、焼き加減を間違うだろう。なので、焼くのを人に丸投げしてしまう。すると、すぐさま、作業量の不均等についての不平が投げ返されてくる。いや、でも、聞いてくれ。問いたい。

 きみはいくらか真面目に肉を焼いてくれているが、この焼き加減はなんだ。わたしが焼いたのより、多少はマシってだけじゃないか。当然だ。きみは店員さんでもなければ、料理の専門家でもない。そうだ、店員さんにいくらか「お袖の下」を握らせて、肉を焼いてくれるよう打診しようか。いやいや、そういうわけにもいかないので、今度は、自分が全部の肉を焼いて、テーブルを囲む各皿に取り分けてみようとする。おしゃべりはナシ。気が散るから。自分が食べるのも、今はストップだ。めんどくさい。つまらない。ここに自分は何をしにきたんだ。飲食代を払った代わりに職業体験か?いつの間にかキッザニアにでも迷い込んだんだろうか。余計なことを考えていたら、肉が焦げている。一度にまとめて焼きすぎてしまっているのだから、網に乗せるのは数枚ずつにして、ゆっくりとていねいに焼け、とクレームが入る。

 もういい。今日のところはもう、自分の食べる分の肉はいい。焼くことだけに集中しろ。チョレギドレッシングのかかったサラダと、酢を多めにかけた冷麺と、キムチとクッパに慌ただしく手を付け、お腹を満たそうとする。おかしい。おかしいぞ。肉を食べたかったのに。わたしは今日、ここへ、肉を食べにきたぞ。おなかの方から、まだまだここに肉が入る余白があるぞ、と、要求が聞こえてくる。

 どこかを満たせば、どこかが飢えるのか。どこかを削れば、どこかが歪む。この肉を焼く網を真ん中に据えた、テーブルの上にある不満と辟易。膨満。焼肉は、世の不均等の縮図だ・・・。



 と、文字に起こすだけで、こんな行数にも達してしまう文句を、もし、そのまま留めることもなく口に出してしまえば、それこそ、何より食事の楽しみを損なう。焼肉屋で味わう苛立ちは、いつも左の奥歯で噛み砕いて、ビールの炭酸の泡の中に溶かしてしまうようにする。そうすると、お店を出たあとには、もうすっかり何も考えていない。
 こうして、焼肉屋さんに来るたびに、お店のどこかに仕込まれた見えないNFCタグが体を通して読み込まれたかのように、毎度同じいらいらが繰り返し湧き上がり、頭と心と胃を満たす。



 口の中で妙にまだらにひんやりと、そして歯にしたたかに引っかかる生焼けのハラミの感触。妹のためにわたしが焼いて、ついでに口に運んだ肉の焼き加減に、内心ハラハラしながらも、もう口の中で噛み始めてしまった以上、今さら吐き出すわけにもいかない、と、えいやっと飲み込む。胃酸の殺菌効果に望みを託せばいい。どう見てもまだ焼きは甘かったけど、もうめんどくさいんだよ。妹、ごめん。なんかもう、どうでもいいわ。

 焼肉、嫌いだ。

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