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鑑賞メモ/What did you mean - Theo Katzman

 気に入った曲を見つけると、とりあえず1週間くらいはその曲だけを聞き続ける。
 音楽好きを自称してはいるが、音楽を通じて知り合った友人が少ない。サブスクリプション・サービスによって音楽が身近になり続けているこの時代の恩恵に逆らっているような気もする。そういう人は、そもそも ”好き” という衝動のうちに、あまりにオブセッシブな成分を含みすぎているんだろう。あらゆる創作物の中でうつくしく描かれる恋愛感情もまた、ある人々にとっては、目も当てられない怪物のような姿をしている。生まれ持った、万人の肉体に備わっているはずの快楽とは、全ての人に開かれているわけではない。だからこそ、すばらしい。涙が出るほど。



 いま、聴き続けているのはこの曲。

 不躾なほど単調でソリッドなビート、神経質さを感じさせる絞り出されたボーカル、そして、とろけて雨粒のように輝くピアノサウンド。それぞれが相反する要素が混ざり合った、ふしぎな味わいが特徴のアダルト・コンテンポラリー・ライクなライト・バラードだ。
 酸味の尖った初物のフルーツで作ったタルトには、煮詰めすぎて真っ黒の、どろどろとしたベトナムコーヒーを添える。粗い小麦粉で作ったパンケーキほど、躊躇わずにたくさんシロップをかけられる。おしなべて忌避される欠点とは、こちらが見地を少し変え、舞台を整えてやれば、他に代えがたい魅力にもなる。逆もまた然り。音楽と食事のよろこびはよく似ているな、と思う。

 ミュートしたアコースティックギターの鼻詰まりなルート弾きに、ざ、ざ、というブラッシングを交えたイントロから、この曲は始まる。そのやさしげでオーガニックな音色に、ボーカル、ピアノ、ドラムと、他の各楽器が順々に重なっていくが、なぜか、言い表しようのない妙な不安定さを感じる。なんだろう。キーがなんだか、おかしい。何回聞いても、キーが正確に掴めない。ギターを持ち出してきても、ピアノの鍵盤を慎重に叩いても、どうにもわからない。
 原因を探るうちにわかったのが、どうやら出だしの最初の3音を弾き間違えている(ギターは指で弦を強く抑えすぎてしまうと音程がズレる楽器なので、そうしたミスかもしれない)のを、撮り直しをせずそのまま採用しているらしい。てゆうか、ギターのチューニングそのものも結構ズレてる。これを「リスナーを強烈に引き込むためのギミック」のひとつだと、つい邪推してしまいそうになるくらい、めちゃくちゃ憎いポイントである。どうりでひたすら違和感が抜けないと思った。
 最初は花粉症のためのアレルギー抑制剤で耳がおかしくなってしまったのかとも訝しんでいたが、何はともあれ、何十回もリピートさせられてしまった。してやられたものである。

 音感の鋭い人は是非イントロの部分に注意して聴いてみてほしい。爽やかな曲調を打ち崩さんばかりのめちゃくちゃな苛立ちを味わえるはず。


 ある音と、その音とは違う高さの音とを同時に鳴らしたものを、和音という。和声の理論においては、あらゆる和音の組み合わせや、その和音同士のつながりを論理的な枠組みの中に捕捉する。それ単体ではあまり使い物にはならなさそうに聞こえてしまう、ちぐはぐで変な響きを持つ不協和音であっても、和声の理論では、楽曲全体の構成のために大事な役割を果たす、と説明される。ちぐはぐで変な響きで、そして不安定がゆえ、その不協和音が鳴ることで、ある特定の和音を引き込もうとする上昇気流にも似た力が、楽曲に対して働くのだ。

 こうした小さな発見が体感として記憶された瞬間、その体感に共鳴するかのように、ほかのたくさんの知識がいままでとは違った色味を持ち始めるようになる。こうやって、いつか自分嫌悪というどろどろのコーヒーの活かし方も見つけられればいいな、と、この曲を歌うナイスガイのプロフィールページを検索しながら思った。

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