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ダルい感じのノリの人をうまいことコントロールしてくれて、あとでそのことに対してお礼言ったら「僕性格悪いんスよね~笑」とかこっ恥ずかしそうに笑ってるひとまァじ性癖

利己的で、自分が受ける損得への執着が人一倍強いのに、他人のそれに対してはルーズであるどころか、むしろ積極的に他人が損をするよう取り計らう人を、「性格が悪い」と言ったりしますね。

この「損得」は、機会均等の恣意的な調整に関するものであることもあれば、金銭的なものでもあったりしますが、要は他人の不遇を望んで、あざ笑う人をそう呼ぶんだと思います。


最近のアヴリル復活、うれしすぎる。
昔から性格の悪い女の子のためにずっと歌ってくれてますね。


「性格の悪い人」を「他人の不幸がおもしろい人」と表現すると悪魔めいてきますが、「他人の損得に敏感な人」と言い換えるとどうでしょうか。


人が何を利益だと考えて欲しがり、そして反対に何を避けるのか。


アンパンマンよりばいきんまんの方がはるかに働き者で、アンパンマンを常に気にかけてるなあ、なんて考えがよぎったことはありませんか?
Mが基本寝そべってSの人をこき使ってるのなら、SとMって果たしてどっちがどっちなの?


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人のことを深く知ろうと思えば、その人が持つネガティブな感情や考えまでも見据えて受け入れる度量が必要になってきますね。そうした覚悟のようなものが、ひいては、自分の精神の中に広がる負の部分までをも認めることにもつながっていくんでしょう。
人間として成熟していくためには、性格の悪さ、誰しもに備わってるがめつさなんかを自覚していかなければならないのかもですねえ。


こうした考えから、「性格が悪い」ことを自称している人のことを、わたしはわりと好きだったりしますが、でも、

「こいつまじで性根腐りきってハエぶんっっっぶんたかっとんちゃうか?????
今までどないして生きてきたん??????????」

って心配になるくらい性格の悪い人ほどまったく無自覚、どころか自分のことを類稀なる聖人君子だと思ってたりしますよね。

世知辛え。


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この間、知り合いのカメラマンさんにポートレートを撮影してもらったデータをもらいまして、あらためて自分の顔や体をまじまじ見ていて、いや~~~やっぱ自分って自分で思ってるより全然整ってないしこんな気味の悪い表情してんのか~~~、とかって愕然としていたとき、そういったことと同じようなことを考えていました。

美容や整形にめちゃくちゃ熱心な人ほど、自分と他人の美的な欠点を受け入れられない橋梁な人なのではないか?
そうした人がいくら美しくなって周りから称賛されても、一向に満たされることはないのでは?

SNSが広く普及してもうたっぷり10年以上が経ちますが、世は空前のルックス偏重時代を迎えています。
ルッキズムに対する批判が生まれて高まっているのなんて、その時代の流れの証左にほかなりません。

かつて、人口の大部分が第一次産業、いわゆる力仕事に従事していた時代には「力持ち」「記憶力に優れている」「細かい作業が得意」なんていう特徴とおそらく同列、もしくは劣後に置かれていたかもしれない「見目麗しい」という特徴が、今ではあらゆる場面で強い影響力をもっています。

誰もが見られ、そして見せなければいけない時代にあって、この流れはさらに加速し続けていくのでしょうか?
後戻りしていくという想像はわたしにはつきづらいです。

人々はそれぞれのビューティコロシアムを目指し、夢を追い続ける!
世はまさに大美容時代!


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多くの人から「美しい」と判断される顔の条件のひとつに、左右対称であることが挙げられるそうですが、それを踏まえて自分の顔を見てみるとビビりますね。

ガッタガタです。

触ってても左右非対称なのわかるしなあ、、、、。
なんならわざわざ片側の口角だけを上げて笑っているときもありますしねえ。
こういうことをうちの母(生粋の関西人)に言うと、「あんたは性根曲がりきっとうねん!!」と気持ちよく一喝されます。


よくありがちなNote記事であれば、このあたりで

「自分の醜さも、それはそれとして、あるがままに受け入れられるような人として、わたしはありたい。」

みたいにシメるべきなんだろうけどそんな気持ち全くないです。
自分の顔を鏡で見るのもしんどいしめっちゃ整形したいです。



体なんて魂の乗り物でしかないのでね。好きにカスタムさせてもろて。

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