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12.73kmのナイトクルーズ


人間関係で嫌なことがあり、久しぶりに自転車でナイトクルーズに出た。時刻は9時28分。

今の時期、昼間に外に出ると、春の陽光を強く感じる。4月なのだから、と思うが、それでも毎年「もう?」という感じもする。ところが、こうして夜に出てみると、空気のなかにまだ冬の分子が漂っていて、安心する。パーカー一枚で出てきたことに後悔はするが、それでもどこか「まだ季節は前に進み切っていないのだ」と思える。

ナイトクルーズをするときは、目的地を決めずに走り出すことが多い。走りながら気分を見極め、ハンドルを切る。今日は、なんだか川が見たかった。

すぐに近くの小川に出ると、そこからはひたすら川沿いを行く。この川を見ながらペダルを進めることが、今日の唯一の目的である。


小川を行き始めてから早々、何度も交差点にぶつかる。あるいは、迂回を余儀なくされる。そして、線路に遮断される。完璧に小川と並走することはとても難しい。
都市計画というのは「残酷」だな、と思う。流れる川の上に、下に、道路や線路を通す。川沿いの土地に、大型商業施設を建てる。そうして人びとの都市生活が生み出される。

「自然」と「開発」の二項対立はあまり好まないが、それでも、川を見たくて夜道を漕いでいる私は、道路整備や商業主義に否応なく規定されている。道があるところしか、私は行けない。

そのようにして、私の人間関係も回転しているのかな、と思う。信号機に足を止められ、線路に迂回させられ、イオンを前に立ちすくむ。どんなに横を並走しようと努めても、必ずどこかでそれができなくなる。元に戻れるだろうと信じて、そこから離れるしかない。道があるところしか、私は行けない。


そんなことを考えていたとき、イヤホンからアコースティックギターを鳴らす音が聞こえる。Pixiesの「Where Is My Mind」。耳に残る独特のギターリフに、深いリバーブ、重いスネア。まさに90年代を作り上げた音がする。

I was swimming' in the Caribbean
Animals were hiding behind a rock
Except the little fish
Bumped into me
I swear he was trying
To Talk to me coy koi

俺はカリブ海を泳いでいた
動物たちは岩の影に隠れている
ただ一匹の小さな魚だけが
俺にぶつかってきた
俺にはわかる、あいつは俺と話したかったんだ
あの恥ずかしがり屋のお魚ちゃん

水の音を聞きながら、歌詞を咀嚼する。そして、自分をそこに投影する。私は恥ずかしがり屋の魚だったのだろうか。不器用で物事が上手く掴めない、未熟な生き物。何かに自分の身体をぶつけることでしか、自分の感覚を信じられない生き物。

特に辛い気持ちはしない。ただ、どこかでそんな自分に同情と諦めを感じる。ペダルを漕ぐ足は止まらない。止まってはいけない、と思う。この瞬間にも私は自分の身体を使うことでしか、自分の感情を掴めない。


そこでふと小川が姿を消す。また迂回か、と思いながら、ハンドルを切る。ところが、なかなか元に戻れない。仕方がないので、Google mapで確認すると、どうやらそれは住宅街の地下に潜っているらしい。

帰りどきかな、と本能的に思った。心も身体も疲れ始めていた。

来た道を戻る。目的地ができると、足取りは早くなる。12.73kmのナイトクルーズが終わった。


ナイトクルーズに出るときは、だいたい何かをfixしたくて出発する。でも、何かをfixして終わることはほとんどない。結局のところ、サイクリングは自分と否応なく向き合う時間だし、どうしても過去や現在を振り返って再定義してみよう試みるものだ。

じゃあ、どうしてナイトクルーズなんてするのかというと、やはり、人通りの少ない夜道を走りながら、そこで体験したものと自分が重なり合うからだろう、と思う。そうして私は多少なりとも救われることが多い。何かに悩み、孤独だった私が、そこで見たもの、聞いたものと接続する感覚には、安らぎが確かに存在している。何かを一瞬で解決してくれるようなスーパーパワーはないけれども、私の感覚を外の世界に向けさせてくれる力はあるのだろうと思う。

"Where is my mind?"
「Where」という言葉で、私の目は外に向かう。この問いを立てられる、ということが、とても大きな意味を持っているのだ。


(おまけ)
今回のナイトクルーズで聴いていた曲のプレイリストを公開します。是非聞いてみてね。


愛車


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