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氷河期底辺暮らしでも前向き

私は今、無職。先月辞めた仕事はそれなりに自分の気持ちや状況とマッチしていたにも関わらず、あまりの環境の悪さに辞めた。
ここで今後に向けて色々考えるのにちょうどよい機会に出会えたのでそれも含めて今までの ”仕事” にまつわる思いを書いてみたいと思う。

職歴があまりなくて悩んでる人は自分の得意や苦手/好き嫌いを探すと仕事探しに役立つんじゃないかな?という思いで書いたもので、職歴については実はもっと様々ある…。


-経験について
-感じた事と行動戦略
-求職活動のやり方と今後の仕事

1>経験について

・家庭教師・カラオケ店・飲食店・出力サービスとITV工事・CD屋・コールセンター
・ハードウェアの検査・組み立て・食品加工・ラッピング・Webシステム開発・大学の教科書販売
・病棟看護助手・Webサービス運営会社でのパート・大学の研究室 などなど。

学生時代から暫くはアルバイトをしていたわけだけど、最初は本当に何も考えず報酬を得ることを目的としていた。然しながら、そこから学んだものは、後に大きく影響したと感じる。

学生の定番:家庭教師

受験生を二人見たが、それぞれの目標設定が微妙なところだった。一人は目標が曖昧なままでいたし、もう一人は実力とかけ離れた目標設定だった。
なお実習が忙しくなり、最後まで見届けることはできなかった。
人によって特性がだいぶ異なることと義務教育のどの部分で躓いたかによって、その後の習得の難易度が大きく違うことなども学べた。
多くの人は自分の学力を偏差値などの指標に合わせ、それと自分の考えを加味して目標設定をすることが多いと思うが、彼女たちはそもそもの目標がハッキリしていなかった。
ゴールと自分の場所を適切に把握できない事には走り方も見つけ難いと学んだ。

カラオケ店

接客の経験が全くない中で最初はとても焦っていた。店長から数字のことも聞いたりして、初めてお金が動くということを意識した。特に日々の清算を手伝いながらコスト意識を感じられたのは大きい。また、予算未達で厳しい時に、自分たちのコスト分をペイしてもらえるように「どうやって売り上げを作るか」などを話せたのは、とても楽しくて良い時間だった。

知人の会社

大学を辞めた後、色々と迷っていたところに声をかけてもらった。
主に写真や動画、その周辺などに関わった。特に面白かったのは2つの会社が同じスペースに共存していたこと。事務についてはシェアしていたりなど、このようなやり方は面白いなと思った。

CD屋

バンドをやる事に理解があるというだけの気軽さで入った。だが長くいた人が皆辞めていき、いつの間にか店舗責任者代理状態で、常駐する上司もいない為、仕事を回すのに必死だった。在庫、売り上げ、注文などを見ることができたのは非常に良かったが、引き継ぎもなくスパルタ過ぎた。
テナントで入っていた先が無くなることになり移転先を探してもないという事で、初めて雇われていても仕事はなくなるというのを経験した。

コールセンター

スタジオ代が払えないという情けない状態になり紹介された(笑)
最初は基礎知識もなく通信系のコールセンターの為、基本的な事をインプットした。ネットワークは関心があったので最初は楽しかったが、次第にクレームのキツさに悩むように。私はどうやら耳からのインプットが苦手だったようで、ものすごく合わない仕事があることを知った。
だた、説明技術はとても価値があり視覚情報なしに相手の状況を把握し、こちらのお願いを伝達するのは良い経験になった。
あと、クレームの受答えは意外と評価された。自分はとても苦手だったし、何より相手の感情にのまれやすいと思っていたので他者の目と自分の感じ方は大分違うことを学んだ。
また、ちょうどADSLが出始めの頃でいろんなサービスが変化している面白い時期でもあった。
クレームを受ける中で、配布したアプリケーションの不具合のクレームがあった。私は当時は技術担当ではなかったのだが、技術対応をしている同僚に話を聞くうちに、何故このようなバグが生まれるのだろう?製造の背景を知りたい、そう思うようになった。同僚とJavaScriptでツールを作ったりするなどが楽しみだった。趣味でやっていたけど、仕事にしたいと思ったのはその人の影響が強い。
その流れで技術対応もした。しかし話す技術が中々身につかず、限界に達した為辞めた。全部で4か所を渡り歩いた。

Webシステム開発

実はWebではなくて組込みに興味があったのだが、通勤可能な範囲に少ないうえに、専門知識がない為気持ちで負けていた。
その為最初の1-2社落ちた時点で、Webシステム開発の会社に絞った。
当時はまだバンドをやっていたので、ツアーで休みたいこととか諸々を黙っておけばいいのに面接で話したりなどした。(休むことは認められませんでした笑)
然しながら、自分の事をオープンにしていくことでそこに価値を感じてくれる人が居るという収穫があった。
実際入ってみると、名ばかり研修で最初からテストを手伝ったりだとか端末の情報収集をしたりなどした。
更に研修期間中は勉強をすることは許可されていたが、教えてもらうというよりは自学スタイルで期限内に資格取得するというものだった。なんと状況によってはだいぶ残業し、研修期間の給料月額12万5千円...
仕事を教えてもらうような機会はないものの挑戦の機会はあり、設計やリーダーの経験も積ませてもらえた。自分が何をしてみたいのか、何が面白かったのかを話せる環境であった事が大きいと感じる。
ここで大きかったのは、裁量労働制について労働者側から会社への働きかけがあり、それを身近で見れたことだった。非裁量が妥当となった時には心から嬉しかった。

病棟看護助手

全くの未経験であったが、なんと他の人を全員辞めさせた後との事だった!
未経験だし、って事で元気と笑顔で怒られながら覚えた。
そして感情的なご指摘を受け流すことを覚えた(笑)
環境の変化には強い方なのでわりと早く慣れることができるのだが、経営者が何度か変わるなどした為、戸惑いもあった。そのうち看護助手というより介護になってきていて、タイムスケジュールの見直しやら支援についてなど色々と意見を求めらることが増えたので、できる範囲で部署内の事務的な事なども合わせてを引き受けた。
ここで書いていない他の仕事でもそうだが、それなりの成果を出していると意見を聞いてもらいやすくなる。そのため仕事のストレスは減っていく。最後の方は、看護師の先輩方に看護学校を勧められるなどしながら大変可愛がっていただいた。

Webサービス運営会社でのパート

自分がまた何らかのシステムに関わりたいと思っていて、技術は難しいから何でもいい、と思っていたところに電話対応や来客対応とあった。長くかかわることができなかったが、自分のメイン以外の仕事をする人と接する機会があったので積極的にその機会に参加した。勉強のヒントや仕様についての考え方など、一緒に仕事にしていないと中々聞けない事が聞けたので良かった。
特に決まりのない仕事に関してはやり方の提案などをすることで、自分のやりやすい環境を作ろうと試みた。その結果自分の好きな、テストや製造に少しだけど関わることができた。

大学の研究事務補佐

求人内容が自分にピッタリはまると感じて応募した。やりたい事・経験・得意分野、大体の方向が一致していた。
面接でも具体的な困りごとのヒアリングと、自分ができそうなことなど具体的な話ができたので、入る前からとても良いと感じていた。
最初はその場にいない人たちの連絡先を得ることから始まった(笑)
ひとりひとりとコンタクトを取り、状況をヒアリングしていった。同じ場所・時間に一緒に作業しないという仕事は今まで経験がなかったのでとても良かった。試行錯誤を自由にさせてもらえる環境だったので良かった。
然し仕事が当初の内容よりも広がり過ぎ、人手もなかった為に、次第に自分以外にはできない作業が増えて膨らんでしまった。誰にでも教えやすく、誰にでもでき、ミスの混入が少ない作業の設計の重要性を学んだ。
私の仕事内容が何かを知らない同僚が多く、私もまた他の人の仕事を知らない状況だった。それなのに何故か、私の仕事に干渉してくる人が多くいて、その点はとても働き難かったので、勤務期間中に退職に関しては数回相談をしている。然しながら、私の状況について配慮してくれる人がいればいるほど風当りは強く、何故か持ち込まれてくる仕事が増えていった。
ここでの経験で一番の価値は、教育機関であることだった。研究に必死に取り組む人や、とりあえず進学したという人、様々な人がいた。作業の一つ一つを楽しむタイプの人には積極的に支援をし、聞かれれば教えるなどして、誰かに教える面白さも感じられた。


2>感じた事と行動戦略

さて、氷河期世代で学歴も職歴もない私。最初から単にバンドがやりたくてぶらぶらしていた、と云う訳ではない。
そもそも大学入学時には描いていた将来像があったのだ。何がしたいか明確な目標もあり、それを目指すつもりでいた。然しながら、専門職養成校の内容(専門外の基礎的な教養が無かった)にも満足できず、そして国家試験を通ったとしても他の資格で賄えるような仕事、と悩み、体調も崩し、何になろうかと思っている間に病気が悪化した。
大学をやめるよう勧められてからも迷ったものの、退学。新卒ですらも就職が困難であった為、就職を諦めていた。然しながら体調を戻して新たに学びなおしたい気持ちもあった。
そのため心の栄養と思って音楽を続けつつアルバイト三昧していたわけだ。

その音楽を止めたのは、仕事について真面目に考え始めたからだった。
何かを並行しながら両立させるほどの足場のない自分にとっては、目先の仕事を充実させるほかない状況だった。幸いなことにその時点までで経験したアルバイトから得たものから、どうやってその後に繋げたいかはぼんやりとイメージがあった。
上に書いたような、自分の得手不得手と好き嫌いから絞り込んだ。

Webシステム開発の仕事は楽しかった。
まず、紫外線のアレルギーがあるため屋内で仕事ができること。
女性(まだ少なかった!)の同調/馴れ合いのようなものが少なかったこと。
課題のイメージを具体的に落とし込むのが楽しかったこと。
仕事で関わる対象が面白かったこと。
まだまだあるけど、挙げきれない。

だけれど子育てをしながら働くことは、まだ難しいように見えた。
女性たちに声をかけ、結婚出産後のイメージを持ったり相談したりできたら、と会食を企画したりなどした。
にも関わらず続けることが困難になり、私は家庭の事情などでそのような仕事から遠ざかることになってしまった。

システム開発に関わることができたのは、幸運だった。どこの職場でも応用できるからだ。

再度仕事をしようとしたときには、リーマンショックが起きていた。知人も会社を畳んだり縮小したりしていた。年齢的にも若くない。地元は病院か福祉施設ばかり…。
そこでもう一度、医療ってどうなんだろう、と学生時代に立ち戻った。

看護職はそんなに自分と合っているとは思えなかった。対人や臨機応変はそんなに得意ではないし、人と正面から相対する力がないと思っていたから。
でも周囲の先輩方からは大きい病院の奨学金で看護師を目指すことを勧められた。
自分も迷った。看護師なら年齢が若くなくてもある程度の勝負が可能に見えたからだ。

しかし、、、気付いたら結婚で転居。しかも望めないと言われていたのに妊娠。しかも双子。さらに数年後には障害発覚。

-さて、どうやって道筋を立てていこうか?

産後最初の職場はコールセンターを選択した。大体受電であれば想像可能だったから。だけれど、入った後で障害発覚。子供の支援相談に時間が必要で、休みを取ることが難しい現場であった為、離職。
その次こそは、もし可能であれば長く続けられるように自分に合うところを選択したいと思うようになった。

まず、ブランクが長すぎるので技術職は無理そうだというのをあちこちに応募して感じた。そして考えた。技術をやっている会社の事務か、事務職でも技術よりの仕事、これしかないと思った。

そして、新潟という場所を考えると首都圏の仕事を受けている会社も多いだろうことは色々な人と話すうちに理解できた。その為、自社のサービスを持っているとか農業か漁業、製造業とつながりのある仕事をしようと考えた。
そんな折にそんな会社の電話対応や来客対応、データ収集などの仕事があった。とても有難かった。
然しながら契約が更新できない状況になり、次の仕事が無ければ子供の預け先も無くなり仕事に戻れなくなる!と焦った。
次はさらに丁度良い仕事だった。検査データが絡むかもしれないという期待もあったし、データベースも好きだったので、スッと決まった。

離職も自己都合以外を何度か経験していると、会社が継続可能な事業をして/いる/いける/のかどうか?というのを無視することができなくなった。
それと、地方でどんな産業が生き残るのか?自分は身近な世界がどうなって欲しいと思うか?その組織に居る人たちは魅力的なのか?
自分にとって大事なところを意識的に見ていった。

仕事をしながら、何を得ていきたいのかも考えた。
最終的にどうなりたいのかが明確化し、それに合致する組織を選ぶことにした。

年齢と家族の事。
年齢的に限界なのは十分理解しているので、最初から正規雇用で専門性の強い仕事は狙わない事にしていた。入った組織が自分好みであるとするならば、それに縛られずに仕事ができるはずだ、というのがあった為だ。
子供が生まれた後にやった仕事では、自分の目の前の事をやり切ろうとする事と、興味のある事や気になることを積極的にアウトプットすることで、知識を蓄えようとした。それから興味のある仕事を増やしてもらえるようになったことは自分にとっては幸運だった。

家族の対応で、正規雇用では難しいことが多いのは予測がついていた。それだけでなく、一般的な勤務体系のところは合わないだろうというのもあった。
面接またはそれ以前から、なるべく状況をオープンにして合わない組織に入ることを防いだ。前職では上司の理解を得られやすくなり、仕事上の相談もそれ以外も気軽に相談できる環境になったし、仕事に関する悩みの解決方法も、私の提案を柔軟に取り入れてもらえた。

3>求職活動のやり方と今後の仕事

さあ、無職になった。今私は何をしていこうかと考えてはいるものの、今の物理的状況を優先せざるを得ない。
それについて受け入れ可能な人と、魅力的な仕事をしている人たちに近づくことにしていた。
何度かお話を具体的にさせて頂くこともできたが、中々難しい。
然しながら焦り過ぎずに、地道に合う人を探していこうと考えている。
その間の収入はアルバイトでも業務委託でも何でもよいのではないかなあと思い、ただただ一緒に働きたくなるような人や仕事を探し、地道に動いていこうという状態だ。

幸運なことに、すでに一緒に働いてみたい人は頭に浮かぶ。
ただ、すぐに何か形にはならないかもしれない。
その為、別な仕事と並行して。この先の仕事や生活へ必要なことを続けていこうと思う。


(おそらく関連をまた書きます…)


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