第32回 現実逃避の詳細【朽羊歯ゾーンのWoundTube】
机に向かって、いつの間にか1時間経っている。
やりたくないことがあって、「先にこれだけやろう」とスマホを見ていたら、こうだ。どうでもいい考え事をしている時間もあったかもしれない。
「どうでもいい考え事」はとても厄介だ。何かをしている途中であっても、一瞬行き詰まると脳がそちらに切り替わる。一度切り替わったら、自分が別のことをしていたということを思い出さない限り、何時間でも消えていく。
「なんでろくでもない考え事してるんだろ」と思っても、それ自体が思考の行き詰まりなのでまた考え事に戻る。もしくは、スマホいじりなどに移行する。「何かをしなくてはいけなかったはずだ」という焦りを持ちながらスマホをいじる時間は、そのときは良くても無意識に負担がかかっているらしい。次の日起きると「どうせ、何かやらなくちゃいけない時間か、何かやらなくちゃいけないと焦りながらスマホを見る時間しかないんだ」という絶望感に満たされる。
その日やるべきことが、「何かを考えること」だったり、スマホを使う作業だったりする場合はさらに厄介だ。必要な作業と現実逃避が同じフィールドで展開される。行動を切り替えることで脳を正しい道筋に戻すことができない上、現実逃避にも移行しやすい。スマホの通知が来ただけでアウトだ。
一番多いのは、スマホを開けた(開けたという表現は正しいのだろうか? スマホのロックを解除したということが言いたい)瞬間、前に使っていた画面が開いていて、反射的にそのアプリを使い始めてしまうこと。運よくホーム画面が開いたとしても、いつも使っているアプリや、通知が来ているアプリをタップしてしまうことも多い。無意識に。そこを潜り抜けたとして、調べ物をしようとしてブラウザを開いた場合は、必ず前回開いていたサイトが表示されるようになっている。Twitterだった場合は、終わりだ。
ちなみに、なぜかスマホいじり以外の趣味には移行しない。稀に読書か手芸が始まる程度。「現実逃避のためにすること」と「趣味」は、私の中ではイコールではないようだ。せっかくなら創作でもやれば、アカウントのコンテンツも増え自己効力感も高まろうというものなのに、脳の感情的部分は変な考え方を有しているらしい。理性的部分では、それを理解して言語化するので精一杯だ。意識しないと自分の考え方が理解できない、理解したとしても納得しない、というのも不思議な話だが。しかも、行動の決定権は感情的部分が握っているのである。感情なので論破が効かない。厄介なことだ。
もしかしたら、頭を使う状態から、頭を使わなくていいことに逃げているのかもしれない。スマホいじりは頭を使わないが、創作はとても頭を使う。読書や手芸はやや使うが、読みかけの本や編みかけの靴下などがある場合はかなりハードルが下がる。
読書と言うと誤解されるが、私の場合、勉強のために難しい本を読んだりはしない。読んでもせいぜい新書くらいだ。ミステリですら自分で謎を解こうともせずぼけーっと読んでいる上、読み終わるとトリックどころか謎も登場人物の名前も忘れる。途中で忘れることも多い。
この先を書こうとしたら現実逃避に陥ったので、この辺で書くことが尽きたのだろう。終わりにします。
ここに書いたことで、少しでも「自分が何かをしていたということ」を思い出せるようになっていてほしい。脳、できるか?
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?