見出し画像

第3回 たまご納豆ご飯に関する一考察【朽羊歯ゾーンのWoundTube】

「たまご納豆ご飯」と書くとき、どうして「たまご」をひらがなで書いてしまうのだろう。「卵かけご飯」は「かけ」がひらがなだ(こちらは漢字で書く方が珍しいからかもしれないが)。

それとも私だけだろうか。人によって心地良い書き方は違うのだろうか。書き方に限らず、「たまご納豆かけご飯」「卵かけご飯(納豆入り)」「納豆ごはん(卵入り)など、呼び名も人それぞれである可能性はないだろうか。

そもそも、「たまご納豆ご飯」と書くことが、人生で何回あるだろうか。私は初めてだ。なのにどうして、心地良い書き方と気持ちの悪い書き方が定まっているのだろうか。

まあいいや。


私のたまご納豆ご飯の作り方は、やや特殊である。

①卵(単品だと漢字で書いてしまう)と納豆を別々に混ぜる。卵は白身を箸で持ち上げて切りつつ溶きほぐす。納豆はまず何も入れない状態で10回程度混ぜ、カラシやワサビが付いていれば入れてまた混ぜ、最後に付属のタレを入れてさらに混ぜる。

②納豆を半分卵に入れ、卵も少し(パックに残った納豆の体積の4分の1〜半分程度)納豆パックに入れる。

③それぞれを混ぜる。割合の違うたまご納豆が2つ出来上がる。パックの方(納豆が多い方)がふわふわしていれば成功。

④パックの納豆をもう一つの方に入れ、混ぜて完成。

ちなみに、混ぜる回数はムラがなくなる程度だ。数えたことはないが、十数回といったところだろう。入れたものが全体に行き渡れば良い。

私はこの混ぜ方を、小学校3年生くらいからずっと続けている。当時、父に教えようとしたら、煩雑すぎて一手順ごとに疑問を持たれ、「じゃあ自分のやり方でやれば」とキレたことがある。「もうだいぶ普段と違うから無理だよ……」と困られた。私の精神年齢は5歳なので、二度と父にはこのやり方を教えないと決めている。これ読んで勝手に作れ。


この作り方のポイントは2つだ。

1つは、②で納豆パックに入れる卵の量。これが多すぎると、器に入っているたまご納豆とほぼ同じ、サラサラしたものになってしまう。また、少なすぎても入れないのと変わらない状態になってしまう。納豆の方が多いが卵も確実に入っている、という状態を目指したい。

もう1つは忘れた。

今まで私は、納豆パック側のたまご納豆(ふわふわしている)を混ぜ込むことで、たまご納豆全体がふわふわすると思っていた。また、先に書いた通り、パック側に入れる卵の量が多すぎるとふわふわしないと思っていた。十数年間、私の中の常識になっていた。

しかし、よく考えると、根拠がないのである。

ふわふわしたものを混ぜ込んだら全体がふわふわするって、何だ?

パック側に入れる卵の量についても疑問だ。たまに、この手順を踏んでもふわふわにならないときがある。パック側に入れる卵の量が多すぎたときに偶然それが起こり、因果関係があると思い込んだ可能性は否定できない。対照実験などしていないのだ。

そもそも、ふわふわのたまご納豆が良ければ、全部卵少なめにすれば良くないか? 卵がもったいなかったとしても、家族からスプーン一杯だけもらえば良かったのでは?

それ以前に、何がどうなって、私はこのやり方を作り上げたんだ? 他にこんなやり方をする人など見たことがないから、おそらく自分で考えたんだとは思うが、だとしたら無駄な手順が多い可能性も高い。

それなのにどうして、私はこのやり方やそれに付随する「常識」を、唯一の正解として信じてきたのだろう。自分が怖い。なぜ疑わなかったのだろう。

仮説はある。
「サラッとしたたまご納豆がけっこう嫌いだから失敗したくない」という思いが、対照実験を阻んだに違いない。


ちなみに、タイトルの「○○に関する一考察」というのは、はやみねかおるが章のタイトルに使いがちな構文だ。

……本当だろうか。
また根拠のない常識だったりしないだろうか。

現に、「1~2回しか使ってない気がする」という心の声を、私は今否定できていないのである。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?