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『正解するカド』考察にもならない気になること

見出し画像出典:正解するカド(アニメ公式サイト)

感想メモを書いたのでもういいかなと思ったが、引っかかるところが多いので、気になるところをつらつらと書いていく。

ネタバレしかないので未視聴の方は読まないようにしてほしい。

タイトルについて

”正解するカド”というタイトルはどこかおかしくないだろうか。”カド”は人類を”正解”に近づけようとするザシュニナが用意したモノの一つである。異方と宇宙との境界体であり変換機構である”カド”は主体足りえないはずだ。そのもの自身に意思があるわけではないただの道具に”正解”なんてあるのだろうか。
道具の使用用途に合った使い方をされるのが”正解”だとすれば、人類を変換して異方に連れていくことこそ”正解”なはず。
この物語においては”カド”は”正解”できていない。”正解”を求めてもいない。ただの道具だから。
”正解”しようとしているのは人類であり、”正解”させようとしているのは異方存在の”ヤハツィザシュニナ”である。
なぜこのタイトルなのだろうか。語呂が良いだけにしか思えない。
あえて言うならば”正解する(ための存在)カド”だろうか・・・

”ワム”や”サンサ"、”ナノミスハイン”について

途中経過を経ずにオーバーテクノロジーを与えられた人類はどうするのかという問いかけに他ならないとは思うが、この作品における人類は混乱を招くと理解しながらも受け入れるという結論に傾いているようにみえる。(ザシュニナの”正解”の本来の目的を知らない状況下では)
当初国連は”ワム”が拡散しないように管理するよう動いていたが、犬束構造は核すらまともに扱えない人類が夢のエネルギーを放棄するに近い結論を出すことに憤りを感じ、拡散へと手助けする。そうして拡散された”ワム”の製造に人類は挑み利用していくことになる。興味深いのが、製造法が拡散された後は”ワム”の製造を試行錯誤し利用している人々は描かれるが、”ワム”への忌避的態度をとっている人間がほとんど描かれていない点である。
”人類の進歩の減速は人類だけでできるが、加速には異方の力が必要だ。どちらがいいかわからないから両方試したい”とアダム・ワードは述べているが、加速を試した時点で試さなかった時点に戻ることはできないのは明らかである。広がってしまう便利な技術を放棄するなどありえないのだ。
この物語上では異方存在の沙羅花により人類の自然な営み・尊厳を破壊するものとして排除されることになるのだが、排除することを人類はほんとうに求めていたのだろうか。人類の営みに人類でないものが手を出すことを人類は求めていないのだろうか。ザシュニナが求める”正解”を事前に理解していたとしても、人類は未知の技術を受け入れたのではないかとすら思える。

0話について

この作品の主人公である真道幸路朗と花森瞬の前日譚であり、異方の存在が出現するまでに真道がどのような仕事をしていたか、どのような性格なのか、何を大切に思っているのかなどを伝えるための話だ。
”双方に利のある交渉”を行う真道について描かれている一方で花森はお調子者で真道についていくだけの考えなしな性格のように描かれているように思える。この花森は本当にそれだけの存在なのだろうか。12話見終えた後に観ると違和感を覚える。

花森瞬について

全体的に花森瞬の扱いがひどすぎるように感じる。真道の掌の上で転がされ、いいように使われている。真道から温かい言葉を受け、その言葉通りに受け取る素直な人間だ。日本に依拠した肩書を代わり負わせたり、真道と沙羅花作戦の為に幸花を相対時間をずらした空間の中で16年間育てることにもなる。普通の人間が上司であった真道を好きだから、人類を守るという理由でそこまでできるだろうか。
他人の子供を16年間ひとりで育てるということがどういうことなのか作品上でもっと取り上げられていてほしかった。しかも幸花のことを僕の娘と言っているのに幸花からは”瞬くん”と呼ばれているし、真道のことは尊敬できる父親として幸花を育てているのである。
お人よしとかそういう次元ではない。どこかおかしいとしか思えない。この物語で最も犠牲になっていると思う。真道よりもずっと。16年の時が経過したことをちょっとシワを足す程度の造形以外で表現されていないのもむなしい。
他人と16年ズレた人生をこれからも送るのだと思うと不憫としかいえない。

真道幸花について

真道と沙羅花の娘である幸花だが、都合がよすぎる存在だ。
16年間花森瞬と2人でズレた空間で育ったのにザシュニナに対抗することに疑問を抱いている様子もなく、正解へ向かってしまっている人類を救い、ザシュニナのもたらした”ワム”や”サンサ”を無効化するのだ。
そもそも、ふつうの人類である真道と宇宙に適化するために一部の機能を捨てた異方存在の沙羅花の間に生まれた幸花がどうしてザシュニナより高次元の存在になれるのだろうか。人類と異方存在の特異点としてザシュニナに対抗できるというのであればわかるが、ザシュニナを超えた次元の存在として対抗したという意味が分からない。なぜなのか教えてほしい。
また、16歳という記号として制服を身に着けていたわけだが、実際に高校に通っていたはずがない。ザシュニナに驚きを与えるためだけに産み育てられたといっても過言でないこの幸花は何を考えて生きてきたのだろうか。他に同族のいない特異点たるこの幸花はどこへ向かったのだろうか。

真道幸路朗について

真道幸路朗のことを目的を達成するためには手段を選ばないサイコパスのような性質があるが、情に流されやすい所もある。沙羅花のことも愛してなどおらず、人類の為に利用しただといわれても納得してしまうような違和感のある人物だと自分は感じていた。ザシュニナに自分をコピーされたときは驚愕したのに、その後コピーされた自分を目の前で消されても何の反応もしないという不自然さがある。
それはさておき、真道幸道朗は死ぬ必要があったのだろうか。ザシュニナがなぜ真道を殺したのかがわからない。ザシュニナを驚かせるために一度手が尽きたかのように見せかける必要があるとしても、手が尽きたという演出の結果としてなぜ死なのだろうか。ザシュニナはなぜ殺したのだろうか。死ぬことがなぜ予想できていたのだろうか。ザシュニナの情緒獲得が沙羅花により言及されてはいたが、たとえ完全な”正解”ではなくとも生きたまま真道を異方に同意なく連れていくほうが”正解”に近かったのではないかと思う。ザシュニナが”正解”を選ばないという予想を立て、しかもザシュニナの内側より真道の殺害の結論が導き出されると予想し、それを基にした計画を立て実行に移す。この正確すぎる推測をしたことに疑問を抱かずにはいられない。

徭沙羅花について

沙羅花は宇宙のファンとして自らの存在の次元を落としてても宇宙に近づくことを望み、幾度も転生を繰り返し異方存在として宇宙を管理してきた。彼女の指輪にはおそらく異方存在ではなく何の変哲もない人間として生きていくことへの”操”を立てていたのだとは思われるが、真道を守るために力を発揮した際になくなっており、以降は異方の力を躊躇なく使用している。宇宙の成り立ちは異方の手によるものとしても、その後の自然な営みは奇跡的なものであると考えており、それを邪魔するザシュニナを排除するというのは理解できるが、真道の生死がからむまでは異方の力を使うに至っていないのが理解できない。
転生を繰り返し、宇宙の自然な営みに近づき人間的感情を手に入れたことによって、異方とは違う思考をすることはあっても、異方存在がなぜ人類へ接触するのかについては初めから理解できていたはずだ。自然な営みを守るためには”ワム”が広がる前に行動を起こすべきだったように思われる。
また、描写が少ないためか、序盤より親しげだが仕事仲間以上には見えなかった真道への想いがどこで恋愛へと変化していったかがわからず、近しい便利な人間がいたのでとりあえずそういう感じになってみましたというようなテキトーさを感じてしまった。子供もザシュニナ排除に利用しているだけに真道への愛を感じにくい。

品輪彼方について

知識と解析能力が高く才能がありながらも幼く危うい学者として描かれている。マッドサイエンティストのようなキャラ付けとしては申し分ない。
”超空間につながるワム”についてザシュニナから教えを受け、それを利用したフレゴニクスを中和する装置をつくったことで、真道はザシュニナの攻撃を防ぐことができなかったわけだが、自らが作ったものでザシュニナの攻撃を防げないことに彼女が気がついていないとは思えない。これはある意味仕方のない真道のミスなのであるが、”ヒトを異方へ連れていくザシュニナを止める”ことを目的にしていると装置が完成するまで伝えなかったことがこの結果を生んでいる。装置が完成したあとに目的を伝えられても遅いのである。
そしてなぜザシュニナを止めなくてはならないのかを理解していないし、する気もない。興味が向くことを解き明かし実行していくことが彼女の望みなのだ。だから、装置完成後に目的を告げられ、ザシュニナに対抗できないことに気がついても、混乱して伝えるに至らなかったのだと思う。
そしラストで彼女が”ちょっと行ってきます”した先はおそらく異方である。
ザシュニナは幼く異方と親和性が高く”ワム”そ理解・解明できる存在として彼女を見出していたが、はじめから彼女に異方へ人類を連れていくという目的を伝えていれば真道や沙羅花との諍いなど起きず品輪彼方を変換し異方へ連れていくだけで済んだのではないかと考えてしまう。

言野匠について

成田空港にヘリを飛ばし”カド”の存在を最も早くありのままに報道したことを評価され、異方存在の情報を得るために世界的大企業SETTENにヘッドハンティングされた彼は、異方存在が消えた後はどうなってしまうのだろうか。
”ワム”の世界的広がりは前線ではなく過ぎ去ったものととらえていたように、報道マンとしての資質にすぐれており、異方存在がなくともSETTENで活躍していけることは間違いないと思う。ギリギリを攻めていく姿勢と人に親しまれ尊敬される振る舞いは素晴らしい。”大事なのはいいか悪いかじゃない。報道すべきものは事実だ”と語る彼は異方存在の消滅という事実の解明にどこまで踏み込んでいくのだろうか。理解が追い付かなかった視聴者の為に彼を解説者としてスピンオフ作品をつくってほしい。

ザシュニナについて

人類について疎くはじめは対話することすらままならなかったザシュニナは、次元を落とし人類と対話できるようになり、交流を重ねていくうちに人間的情緒を獲得するに至る。 また、真道に異方側からの交渉と人類側の交渉を請け負わせ対話を重ねるうちに友情のようなものを感じるようになっている。”カド”のなかで長い時間をすごすうちに映像になっていない交流が行われていたのであろう。真道とは阿吽の呼吸ともいえるやり取りが行えるようになっている。ここの関係性が深まっていくやり取りがわかりにくく、ザシュニナがいつの間にか人間らしい振る舞いをするようになったということばかりに目が行ってしまう。だからなのかラスト2話でザシュニナがいきなり真道への執着を見せ始めたかのように見える。コピーした真道をそばに置いたことで本物の真道と違うことが身をもって実感できたのだろうか。あえて言うならば、真道にプレゼントされた栞を興味深く使い大切にしていたところが真道への執着の始まりであろう。
10話において真道より指摘された”間違い”を嘘だと決めつけていたのに、12話では複製体は本物ではないということに気がつき、自らの”間違い”を認めるに至っている。そして、真道の意思で異方変換が行えないのであれば、真道を終わらせるという結論を導き出してしまっている。真道幸次朗の生き方を犯したとしても特異点たる人類を試しに異方変換することが”正解”に近かったのではないかと考えるが、ザシュニナは獲得した人間らしさのせいで合理的判断ができなくなっている。
この、合理的判断ができなくなったザシュニナは、ある意味、情報不足を解決しているといえると思う。自らの内側に特異点を得たようなものだ。人類を異方へ連れて行く”正解”ではなくとも、自らが情報不足を解決する特異点となる”正解”を選ぶ世界はないのだろうか。
”アイツそんなに悪い奴じゃなかったよ”と幸花に言われていたが、幸花に言われるまでもなく悪くなんてないのだ。彼の目的は一貫しており、情報不足を解決するために人類を”正解”へ近づけ異方へ連れていくことであり、その為に行動していた。彼を善い悪いと決めつけていたのは人類側なのである。悪いかどうかを決めたのは人類だ。

ザシュニナにとっての”正解”とは

ザシュニナにとっての”正解”は作中で語っている通り、人類という特異点を異方へ連れていくことにより、異方の情報不足を解決することである。
求めているのは「処理不能なほどの予測不可能で過度な情報≒驚き」であると真道は述べているが、これは、ザシュニナという個体にとっての欲求を満たすことであり、異方における問題の解決にはなっていない。つまり”正解”と欲求が異なってしまっている。
しかし、途中からは真道幸路郎をそのままに異方へ連れていくことが”正解”であるとザシュニナのなかですり替わってしまっているように感じる。
人間らしさを手に入れた時点でザシュニナの求める”正解”なんてどこにもないのかもしれない。

人類にとっての”正解”とは

人類にとっての”正解”と異方存在にとっての”正解”が違うということは言うまでもないのだが、人類にとっての”正解”がなんだったのかがわからない。
今回の物語では幸花が異方より与えられた技術を全て無効化してしまうという結末となっており、人類に与えられた進歩はなかったことになっている。
しかし、異方より与えられた進歩は人類にとっては手にしたいものであったはず。何人かの人間を異方送りの生贄として差し出し、技術を手にするのも人類にとっての”正解”かもしれない。
異方という存在を認識しただけの今回の結末は人類にとって悪いものではなかったが、”正解”であったといえるのだろうか。

双方に利がある交渉ができていたのか

双方に利のある”交渉”は途中まではできていたが最終的に決裂したと自分は考えたが、どうなのだろうか。
人類にとっての利は異方からの進歩を享受すること。異方にとっての利とは人類を異方に慣らし、異方変換可能にする”正解”に近づけること。”サンサ”の提供局面までは双方に利があったのだ。
様相が変わってくるのが異方の本来の目的をザシュニナが告げたときだ。人類を推進することそのものが目的だと人類が思い込んでいたためにつり合いが取れていた交渉が、異方側に傾いていたと真道は知るのだ。ここまでは異方の代理人として動いていた真道が人類の代理人として本格的に動き始める。異方側の交渉すべき相手は真道ではなくザシュニナなのだと、再確認させられる。
異方側に傾いていることを知った真道は人類を異方変換させないことで交渉のバランスを取ろうとした。しかし、異方変換させないことを前提として与えられている異方の技術と人類が異方に与えたものをはかりにかけたとき、人類側に傾いてしまっているがために、ザシュニナに”驚き”を提供してつり合いを取ろうとしたのではないだろうか。ただ、これは穏便に交渉が行われた結果ではなく、人類の交渉人となった真道が勝手にそういうことにしたという状況に近い。だから、それを受け入れなかったザシュニナと正面切ってぶつかり、交渉を決裂させてしまう(ザシュニナを倒す)ことになったのだ。
と、自分は想像したが実際のところはどうなのかわからない。解説が欲しい。

”途中”について

”私は特異点でありザシュニナより高次元の存在ではあるが終わりではない。進歩は自らを途中であると思うこと。人も異方存在もみんな途中”と幸花は語っているが、いくら高次元の存在としても最終話で突然出現した16歳の子供に語られてもぐっと来ない。いきなり現れて急に何を語りだすのかという不信感を抱いてしまった。
異方も完成形ではないから人類という特異点を求めて宇宙にやってきたのだ。ザシュニナも不完全な存在であるから人間らしさを手に入れているのだ。ここの語りは本当にやめてほしかった。

なぜこの作品は評価されないのか

序盤が面白いのに終盤の展開がどんでん返しすぎてよくわからなくなってしまうというところが評価されない一因だと考える。
まず、題材として未知の存在と人類の接触は面白い。そして人類を推進することが目的である未知の存在はまるで善良であるかのように振る舞い、人類はそれを混乱しつつもよいものとして受け止めていく。この後どういった未来が築かれていくのかを想像させるというのがいい。そこに主人公の”交渉”を組み込んでいくことで、未知の存在と人類が対話の中で手を取り合って進んでいくかのようにみえ、さらには次にどんな手があるのかワクワクさせられる。このように中盤までの物語の進行は受け止めやすくなっている。
しかし、善良かのように見えていた未知の存在がじちは善良な存在ではないという掌返しがある。宇宙を作った神のような高次元的存在が暇を持て余して人類を連れていくという設定はすごくよかったとは思う。そして未知の存在と対立するようになるだけであればよかったが、伏線もほとんどなく変身ヒロインのような雰囲気で沙羅花が異方の力を突如使うのである。ここの予想だにしなかった展開が受け入れがたい。
そしてさらに、ザシュニナの真道への執着、子供を隠し玉として対抗する展開が重なっていく。真道が交渉官であるという設定はどこに行ったのだろうかとききたい。
観ていたひとは未知の存在と人類の”交渉”を緊張感たっぷりに楽しむ作品だと思っていたのになんか全然違う方向に走り始めた、という期待外れからこの作品を酷評するに至っているのではないだろうか。

伏線が少なくわかりにくい。これに尽きると思う。
ザシュニナは2話で”異方存在を敵か味方か、正しいかを常に思考し続けなければならない”と人類に語り掛けているため、そこで味方であっても敵になる可能性があるということを示唆していたと思われるが、未知の存在が人類に語り掛けるというシーンとしてのみ印象的で内容に関してはあまり印象に残ってなかった。また、沙羅花は指輪を”操”としていたこと、ザシュニナが”栞”を大切にしていたことも後から考えれば伏線であったことが分かる。
観ている側は予想だにつかない展開を求めてはいても、それを繰り返されると意味が分からなくなるので心の準備が必要なのだ。
自分は高次元的存在ではないので受け止め切れなかった。

終盤の展開の理解が難しいため、あまり評価が良くないようであるが、この作品自体はもっと評価されても良いはずだ。星1つを付けてしまうのは本当にもったいない。
今回はこの投稿を書いたのは、この作品について疑問がいくつもあったので文字にしてみただけであり、粗探しをしたかったわけではない。
たった1クールだけなのに、自分にこんなにもわけのわからない文章を書かせてしまうだけの力がある作品だ。
こういう風に考えさせられるタイプの作品は大好物なので、また作ってほしい。

いないとは思いますが、ここまで読んだ人がいたとすれば本当にお疲れさまでした。

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