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明日

私の口癖は「明日」だが、明日に還元されてきた積極的ポジティブも、消極的ポジティブも、私にはない。必ず明日(≒未来)が来るみたいなことを言われると腹を下すし、明日は何しようかなみたいなハッピーに触れるたび、室内に小蝿が一匹増える。

私の口癖は「明日」だが、大抵の場合、明日という発声の前に「今日」という接頭辞がつく。今日はまさに接頭辞的働きをしていて、仮に私が明日としか言わなくても、内的世界か或いはもっと曖昧なところで、その直前に今日が発生している。

今日明日というときの多くは手持ち無沙汰とキャパシティオーバーのミックスされた状況においてであり、おそらく、今日明日という謎の/馬鹿馬鹿しい/わからない/世界の在り方と似ている言葉を発声し、脳のカオスにそれらを遷移させることで分節行為を思い出し、そうすることで少し落ち着く効果があるのだと思う。僕は悟れない。美味しいものを食べたいという唯一の強い欲求も問題だし、友人たちとの好ましい関係を維持するにあたってこれ以上先に行けない。あらゆる問題は「既にあるもの」についての問題である。既にある偏りを私はどうすれば良いだろうか?

明日はまた、既にあるもの以外を錯覚できる。
今日、明日。

(冒頭写真は「東京現代」にて撮影。制作者の情報を失念。ごめんなさい。)

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