毒親から逃げるまで⚠︎閲覧注意

突然だが、皆さんはご両親のことが好きだろうか。


私は、はっきり言って嫌いだ。


幼い頃から喧嘩の絶えない家で、母は常にイライラしており父親はすぐキレて手が出るような両親だった。手が出ると言っても素手では無い。何か棒や新聞を丸めたもの。そして時にはゴルフクラブを手にしてきた。標的はいつも子供達であって母親にはネチネチとした口撃だった。

私には兄と姉がいるが、年が離れており、兄は高校生の頃に家を出て行ったきり連絡も無く戻ってこなかった。
姉も高校生の頃からバイトと夜遊びでほとんど家に居着かなくなったが、奨学金で大学まで行って結婚するまで文句を言いながらも実家に住んでいた。

そして私。私は末っ子で、姉と兄とも年が離れている為、ご家族から可愛がられたでしょう!と言われるが兄と姉には幼い頃に少しだけ遊んでもらった記憶しかなく、一番一緒にいる時間の長かった母は私が何か気に入らないことをするとすぐ怒った。手も出た。包丁も突きつけられた。海が近かったので夜に車で連れていかれ、橋の手すりに乗せられ“ここから落とす”と言われた。悪いことをしたのは分かったが何が悪かったか口に出し反省するまで許してもらえなかった。
よく玄関で座っておけと言われ真っ暗な玄関で一人ぼっちで泣いていた。
そしてある程度時間が経ったらもうしないのよ。許してあげると言われてご飯を食べさせてもらえた。
小学校3年生の時、アイスが食べたいと言ったら今家にないと言われたので後で買いに行きたいと父に言ったらワガママ言うなと逆鱗に触れ、下着にTシャツ1枚で当時住んでた団地の玄関の外に出された。泣きながら何度もインターホンを押したが家に入れてもらえなかった。そのうちインターホンの受話器が外され押しても押しても鳴らなくなった。その姿を同じ団地に住んでいた同級生の男の子とお母さんに見られすごい恥ずかしかったのをとても覚えている。翌日その事を学校で言われると思ったが、その子は何も言わなかった。お母さんに言っちゃダメよと言われたんだろうと思う。

父はそれからキレると一回外に出さないとわからないと言い始め、10秒前からカウントダウンを始めた。カウントが1になるとゴルフクラブを持って追いかけてきた。母はやめてと言うがお前は黙ってろと言って聞かなかった。それ以上は助けてくれなかった。父が寝静まる夜中まで家に入れてもらえなかった。夏は蚊がすごかったし冬はダウンを着て団地内の公園にいたが寒くて寒くて家に入った後もお風呂の暖かさがわからなくなった。
兄も姉も同じことをされていたのは知っていたが2人には友達というコミュニティとお金と知恵があった為祖母の家に電車で行ったりうまく逃げていたことを後で知った。

母はこういうやり方が嫌いだったと私が高校生の頃に言っていたが、こうなる事を分かってて“母の言うことを聞かなかった時”に父親に言いつけていたのは知っていた。
その後、父親に言いつけるのをやめた母は姉に言いつけ始め、私は姉から気を失うまで殴られるようになった。何も言えない程罵られるようになった。
姉も仕事がきつくていつも家でイライラしていた為殴る力加減も、言葉のチョイスもドンドンひどくなっていった。


そう私は家の中でサンドバックになったのだ。


毒親シリーズを始めたいなあと思って始めてみました。正直書いてるだけで呼吸が苦しいので更新はマチマチになると思いますが、よければお付き合いお願い申し上げます。


#毒親



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