現代で読める“80年後の未来に書かれた小説”─読書感想文:村田沙耶香『殺人出産』『生命式』─
はじめに
読み終えた本の感想は読書メーターの呟きにリプライでぶら下げる形で書いているのですが、村田沙耶香氏の小説はどれも面白くTwitterの文字数制限では収まらないのでnoteに記載します。
特にネタバレとか気にせずに作中の描写で触れたい文章を書いていますので、未読の方はその辺をご承知おきください。
※4500文字くらい
本編
『殺人出産』
村田沙耶香の小説で初めて読んだのは『殺人出産』だった。
↓あらすじ
読んで思った率直な感想は「”80年後の未来に書かれた小説”を先取りして読んでいるみたいだ」だった。「なに言ってんだお前?」と皆様は感じたと思うので、詳細を説明するためにまずはフライングしてその次に読んだ『生命式』のあらすじを紹介する。
『殺人出産』と『生命式』では、現代と全く異なった価値観のもとで風習を営む人々が描かれている。それだけならSFやファンタジーみたいなものでは?となるかもしれないのだが、取り扱われているテーマが「死」「生命」「出産」「受精」「性行為」と人間の生々しい部分であるため、SFやファンタジーの括りには入らないと俺は考えている。
「現代で読める“80年後の未来に書かれた小説”」と表現することにした理由を更に書き進めていく。
主語がデカいが人類(というか社会集団)の価値観というのは時代によって変わる。社会集団の価値観は法律や風習によって表わされる。その代表例が罰で、それが顕著なのが人間の命を奪うもの…死刑だ。死刑には重さが存在していたのをご存知だろうか。
現代と違って近代は人間の命は平等ではなかった。王や貴族と平民では命の価値が違っていた。その代表がフランスである。かつてフランスには死刑に「重さ」があった。斬首の次に絞首刑、その次に車裂きと重い死刑があった。そして最も重いのが八つ裂きの刑。中世フランスでは王や王族に対する殺人(未遂含む)を行った者へこの刑が執行されていた。
しかし「そんな惨酷な刑はもうやめようや」ということで1791年にこの刑が廃止され死刑執行の方法は人道的なギロチンによる斬首のみとなり、1939年にはこのギロチンの公開処刑も無くなり、1981年には死刑制度自体が廃止された。(死刑制度について賛否が云々の意図はありません)
現代では人権先進国っぽいイメージがあるフランスも、約80年前までは公開処刑でギロチンを使って罪人の首を落としていたのだ。現代フランスで同じように執行しようものなら国際的な大バッシングは不可避である。
ここで挙げたのはあくまで一例に過ぎないが、生命を取り扱う刑罰でも年月の経過によって大きく内容は変化するものであると認識頂ければと思う。なので『殺人出産』を読んだとき、俺は「これ、未来の社会で行われていてもおかしくないな…」と考えずにはいられなかった。
先の記載と重複するが『殺人出産』の世界では10人産んだら1人を殺す権利が与えられる。この「手続き」を経ずに殺人を犯した人間は、女性は避妊器具を外され、男性は人工子宮を埋め込まれ牢獄の中で一生、人工授精で宿った命を生み続ける刑罰を課される。
※これらを維持する仕組みなどの詳細な内容は是非本書をお手に取ってご確認ください。
科学技術の発達と生命倫理の変容(適切な言葉が見つからないので便宜上こう記す)によって男性でも女性でも命を産み落とせる時代になったら、本当にこんなことが実施されるかもしれない。完全に偏見だけど中〇とか。少子高齢化がシャレにならないレベルで進んでいるので。
その時、未来の人々は歴史の授業で我々に対して「え?殺した人も殺すの?責任取って産ませればよくない?野蛮〜」などと、引用で登場した女子のような反応をとるだろう。八つ裂きの刑を野蛮だと止め人道的なギロチンを導入した人々が、ギロチンの公開処刑を止めた人々が、死刑執行を止めた人々が、過去の社会制度を後進的と受け止めたときのように。
ちなみに「〇人産んだら特典・特権が付与される」というのはナチス・ドイツが実施していた前例がある。4人もしくは5人の子を生んだ母親には三級銅十字章が、6人もしくは7人なら二級母親銀十字章。8人以上なら一級金十字章がそれぞれ与えられ、この勲章を受け取った女性とその家族は社会や公共サービスで様々な特権や優先サービスを受け取ることが出来た。ナチス・ドイツは「これは思ってもやらねーだろ」というのを色々しているのだが割愛する。
歴史にIFは禁物だが、もしナチス・ドイツがヨーロッパを完全に支配したら「10人アーリア人の子供を産んだ女性かその家族には〇〇〇〇を1人殺していい権利を与えてみるとかどう?」「いいね~次の会議で提案してみる?」みたいな会話も交わされていたのかもしれない。
『生命式』
『生命式』の社会では、故人の葬式で故人の肉を食べ、参列者同士でセックスをする(しない人もいる。強制ではない)。
補足としてこの「受精」というのは作中では「セックス」の意味を指す。「受精」という妊娠を目的とした交尾が主流となったのでこのように呼称されている。当然だが避妊はしていない。
※生命式で生まれた子供たちはどうなるの?などは是非本書をお手に取ってご確認ください。
「人間の肉を食べるなんてありえねーだろ」と思われた方もいるかもしれない。しかし、この食人─”カニバリズム”と呼称される─という行為は古来より行われてきた。通常ではないが特別なものでもない。単にカニバリズムといっても分類が大量にあるので(嗜好的なものか、飢餓などの状況かなど)詳細については各自で調べて頂きたい。
宗教的なものはイエス・キリストとの関係を、儀礼的なものはアメリカ大陸での事例を、嗜好的なものは中国での事例を調べることを推奨する。前衛芸術との関連性ならブラジルの詩人José Oswald de Souza Andradeが提唱した「食人宣言」” Manifesto Antropófago”を参照して欲しい。
閑話休題。『生命式』における故人の肉を食べる行為は、故人の存在を自身に取り込む意味合いが強い。そして故人を取り込んだ参列者がセックス(受精)し新たな命が生まれることで、故人の存在もまた新しい命へ受け継がれることを期待する。
ここで再び「葬式で故人の肉を食べるとかありえねーだろ。未来であるかも?何言ってんだ?」と思われた方もいるかもれない。
※俺は高校生時代からオカルトとか食人とか都市伝説とか「そういう話題」を調べまくっていたので、一般のカニバリズムに関する理解の解像度が分からないのでこう記しています。
しかし日本では葬式の際に故人の骨を食べる「骨噛み」という風習が一部地域で存在していた。また愛知県三河地方では頭がよかった故人にあやかろうと焼けた脳味噌を葬式に参列した親戚の人々が食べた事例が報告されている*1。1942年の話である。80年前だ。偶然だろうがフランスが死刑を廃止した時期とほぼ同じだ。
*1近藤雅樹「現代日本の食屍習俗について」『国立民族学博物館研究報告』第36巻第3号、国立民族学博物館、2012年、402頁
もちろん、これらの事例だけで「全部がこうだった!」など普遍的なものへ置き換えるつもりはない。我々が「ありえねー」と思っていたことが過去に既に行われていたりもしており、そして今後この「ありえねー」が再び起こらない保証も無い、ということを認識する必要があると考えているだけだ。
もしかすると将来は葬式場・火葬場を併設したラブホテルが登場するかもしれない(喪服フェチとか一部の人には刺さりそうだけど葬式って頻繁に行われないしリピート需要見込めなさそうだな…)。というか新興宗教だと既に「生命式」に似たことをしている団体があるかもしれない。アメリカとかで。
話を戻す。作中で主人公が「30年前までは人肉も食べなかったしセックスもゴムつけてたし快楽目的だっただろうが」と友人に話す場面がある。それに対して友人はこう答えた。
俺は『殺人出産』と『生命式』を読んで、これは未来に起こる可能性がある世界の話だと考えずにいられない。80年後の生命倫理はどうなっているだろうか?80年後の日本の価値観はどう変わっているだろうか?
貴方の信じる「常識」「倫理」が80年前はどうだったか調べてみませんか?
おわりに
『殺人出産』には「トリプル」「清潔な結婚」「余命」、『生命式』には「素敵な素材」「素晴らしい食卓」ほか9篇の短編も収録されておりどれも面白く、こちらも感想を書きたかったのですが相当な分量になったので機会があれば感想を書きます。
このあと『信仰』を読んで完全に村田沙耶香にハマりました。こっちも気力があれば感想をnoteで書きます。あと残りの本は今月クレカ5000兆円くらい使ったので来月に買います。
最後まで読んで頂いてありがとうございました。
以上
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