承認欲求解放宣言を宣言したい

承認欲求解放宣言を宣言したいと思う。

人はなぜ評価されたいと思うのか。必要とされると嬉しいのはなぜだろう。「〇〇のおかげで助かったよ〜」と言われても、その人の今後の人生は変わらない。

では、なぜ人は承認欲求を持つのか。承認欲求に苦しめられるのか。その解が僕の中で定まったのでnoteにまとめることとする。

時期は遡って赤ちゃんの頃、泣き続けるとミルクを貰えたりして大人が世話をしてくれた。つまり、文句を言って騒げば自分の環境が良くなるという記憶が形成される。何かほしいと言えば(泣けば)満たしてくれると考えるように育てられた。

これが承認欲求が芽生える源泉。

承認欲求を持てば環境が良くなるという記憶が形成されたので、人は承認欲求を軸とした人生を歩むようになる。ツイッターのフォロワーを増やしたい、チャンネル登録者数を増やしたい、いいねがほしい。これら全てが承認欲求。

承認欲求を満たしたいがために、迷惑行為や犯罪に手を染めてしまう人やインスタ映えする写真を撮るために、割高なスイーツを注文し、食べずにお店を出る。

承認欲求を満たすために行動する生き方が幸せな生き方であると言えるのか疑問だ。

また、承認欲求は満たされることがないということにも注力したい。

いいねの数には上には上がいるし、フォロワーの数には上には上がいる。承認欲求に満ちた生き方をすると、例え大富豪になったとしても、もっとお金をもってる人に目が行ってしまい満たされない。自分より上の人が必ずいて満足な状態になることがない。

また、僕は凄そうに見える人が、いい意味でも悪い意味でも1人の人間であることを実体験として得た。この世に聖人君主のような人はいないし、キラキラ輝いている人も悪いところは存在する。

凄そうな人と関わりを持ち、何かするのは学べることもあるかもしれない。しかし、それ以上に人と人との相性が何かするには重要で、僕自身の場合、凄そうな人と関わりを持ち何かした時に、外からは見えない内側の部分が見えて非常に辛かった。人は何か取り繕っていることを知った。

一見、良いように見える人ほど裏がある(全員と言ってる訳ではないです)と思った方が身のためであろう。

チャンネル登録者100万人、ツイッターのフォロワー100万人。凄そうに見えるが、1人の人間で、良いところも悪いところもある。それは、私たちが普段接している人たちも同じで、凄そうに見える人も凄くなさそうに見える人も一律に良いところや悪いところがある。

結局、何が言いたいかというと、これを読んでるあなたの周りには凄い人が存在してるし、あなた自身も凄い存在であるということ。

凄い、凄くないかは、ある指標(フォロワー数や年収など)で見れば上下を感じることがあるかもしれない。しかし、あなたはあなた、他人は他人。人生という物語の主人公は、いつも自分自身だから、承認欲求を満たそうと外に意識を向けるのではなく、自分自身という中に目を向ければ良いと思う。

朝早く起きれた。5分間読書ができた。何でも良い。それを自分自身の成長だと捉えて褒めてあげれば良い。

どうしても、承認欲求があるなら自分で満たせば良いじゃないか。

あなたを必要としてくれる人は必ずいる。そこに目を向けて楽しもう。





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