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きみのつくった傷はたくさんある



11月に入ってぐっと冷え、体力消耗が激しく、毎日眠い。朝起きる時間は変わらず、日課だった部屋んぽがなくなって時間が余るので、母とラジオ体操をするようになった。

一緒に暮らしたデグーが旅立ってからひと月、ふた月、なんだかんだと時が経つが、寂しさや心細さの大きさはちいさくならない。あのこのいない生活に少し慣れた気がして、慣れたことに落ちこむも、その翌日には最期の日を鮮明に思い出してぼたぼた泣きながら眠ったりするから、全然慣れてないじゃんと呆れる。

こんなに苦しいなら兄から預からなければよかったと、あんなにかわいがらなければよかったと、考える瞬間がある。でも今、外でスマホを触っていて、小鳥の声の先を見ると木の樹液をついばむメジロがいて、驚かさないようにと動かずにじっと見つめている自分がいるのは、あのこと過ごしたからだなとも思う。以前はそこまでの興味を動物に持っていなかったし、配慮をしなかった。散歩をする犬や窓越しの猫を「かわいい」と思ってから「すこやかであれ」と願っている。大きな変化だ。
私と母がラジオ体操するようになったのも、あのこと過ごして起床時間が早くなったから。出会う前から変わったことは、きっともっとたくさんあるんだろう。

しあわせが大きかった分、不在の苦しさも大きい。しあわせが苦しさに埋もれてしまってるから、大事に思い出しては取り出すようにしてみる。
部屋でしゃがみこんでいると、ベッドのフレームやテレビ台にかじり跡がたくさんあって「あのこはここで私と一緒に暮らしたんだ」と腹落ちする。ドアや廊下の奥、絵本の背、棚の角、きみのつくった傷はたくさんあるので、たくさん思い出せる。

帰り道に自転車で橋をぐんぐん登っていると、川を見ながらタバコを吸う男の子がふたりいた。制服のままで、高校生らしい。思わずじっと見てしまった。
悪ぶってる感じがすこぶるダサくて、年がもうずいぶん離れてることもあるがひどく幼稚で、微笑ましく感じ笑ってしまった。

同じ年代のときなら、怖いとか、ちょっとカッコイイとか思ってたかもしれない。高校のとき好意を抱いたひとは勉強が出来るがタバコもお酒もうまくやってる漫画みたいなひとだった。コンテンツ盛り盛りのわかりやすい恋、振り返ると恥ずかしい。夢見がちを基本装備している。
こう振り返ることができるのも歳を重ねたからだ、年齢不相応な暮らしをしていても感覚はちゃんと相応なのか。

彼らのうしろには新しい橋を架ける工事が始まっている。いずれこの橋はなくなるけど、あの子達が大人になったとき古い橋に並んでタバコを吸っていた冬を思い出して「悪ぶってて恥ずかしい」とか笑うんだろうか。
なにはともあれ、30代独身女は、高校生たちがタバコに依存しすぎませんように、そしてポイ捨てせずゴミを持ち帰っているよう、願うばかり。

「しない五箇条」というものを決めていて、決めていてといっても都度変えたりしているが、そのひとつに「察してをしない」がある。
遊びに誘いたいとき「これ興味があるんだよね〜」でなく「良かったら一緒に行かない?」と言う、重いものを運ぶとき何度か一人でチャレンジして唸るのではなく「一人じゃ危なそうだから手伝ってほしい」と言う、などなど相手にやんわりアピールしたり、期待したりするなら自分から行動しよう、というもの。
他者に頼るのが苦手なのと、勝手な期待をして勝手にイライラすることが多かったので、改善したいと五箇条のなかにいれた。

父は昔に比べれば色々家事をするようになったが、母と私と比べるとすこぶるやらない。食器を洗わない、布団を畳まない、食事の準備をしない、掃除してるときどっかり座っていたりする。そういうとき私は母に対して「ごめん、手伝えてなくて!今からやるね!」など言い、間接的に父にも行動を促していた。
これは「察して」だ。実行できていると思っていたができてなかった。

父との接し方について悩むも、距離をとったほうが楽だと思い至る。でも文句は出てくるから文句を言えるくらいの距離をはかったほうがよさそう、イライラを溜めて良いことはない。面倒だな、きっと面倒だと思われているんだろう、家族は難しい。

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