見出し画像

きちりきちりとポケットに

元日、ふと目が覚めてカーテンをめくると夜明けで、太陽は顔を出していないが、金星がきらりとしていた。だいふくの介護をしていたときに、生まれて初めて明けの明星を見た、シンとした空気を思い出す。あのこのいない年が始まった。
スマホで日の出の時間を確認して、まあいいやと二度寝する。

大晦日の雨のおかげか、さっぱりと晴れ、雲ひとつなく陽射しはあたたかい。玄関を出て、風が思ったより強くて冷たく、マフラーを取ってもらった。
ちいさな骨の入った、飲みづらいカプセル錠ほどの大きさのキーホルダーを、きちりきちりとポケットに入れて、氏神様に挨拶に行った。
昼近くの境内は静かで、自治会の方なのか紅白幕を背にちんまりとふたり座っていた。
散歩もしようかと思ったがかなり寒く、そそくさと帰る。お昼もおせちと餅を食べた。

有元葉子さんのりんご羹が味の濃いおせちたちの救世主で、本当に助かる。作るのは2回目で、今年のは寒天が少なかったのかやわらかい。このために裏漉し器も手に入れて、りんごの甘煮をもりもり漉しまくった。
歳を重ねる毎、正月の非日常は薄れてきているが、おせち料理の開拓という楽しみをつくれているのは、我ながら良いなと思ってる。大袈裟でなく派手でなく、しみじみ楽しんでいきたい。今日の夜はすき焼き。

年末年始のキャンペーンで銀の匙をアプリでイッキ読みした、荒川先生のテンポ感と内容の充実感が心地良かった。
農業高校が舞台だから経済動物のことを詳しく描いていて、菜食主義ではない私も関係する、生命の、死の話だ。日頃見て見ぬふりではないけど、でもそんなこと知りませんみたいな顔で肉を食べるし、牛乳を飲んで、毎朝卵を食べている。
学生時代に話をした飲食店の方は、鶏の屠殺を経験したという。私は大きなきっかけがない限り、踏み入れない世界だと思うから、漫画を通して知れたのは、私にとっては大きなことだ。

1月になってから俄然朝に起きられなくなった。だいふくは偉大だ。寒かろうと具合が悪かろうとなにがあろうと、顔が見たくて起きようと思えた。
他者のためなら頑張れるタイプなのかな、いつまでもしょぼしょぼしていて呆れるが、あたたかくなってくれば変わってくるだろう。いや、ずっとしょぼついていたい自分もいることに最近気付いた。それでもそのうちゆるやかに変化していくんだろう、今はそのままでいる。

洗濯物を干す一瞬だけなのか、雪が降る。降るというか、ちらつくというか、手からこぼれたことに気付かないくらい、微々たるものだった。
雨や雪、星など、空と関係するものはこの世から離れてしまったものと結びつく。

だいふくを撫でる夢をみて、今朝、まだまだ暗いときに目が覚めた。思い起こすとそれは目の色や柄が違っていたので、概念みたいなものだったが、ふわふわしてサラサラの感触はまさしくだった。昨年亡くなってから、夢に出ても夢の中の自分はだいふくの死を認識していた。夢の中で生きている認識のまま触れ合うのは初めてだったので、うれしい。気づくとぼろぼろ泣いていて枕がべしょべしょになっていた。

あのわずかばかり粉雪は「その夢ぼくじゃないですよ」なのか「もっと真剣に撫でろ」なのか。都合よく受け取って、今日もなんとか生き延びようと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?