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かわいいさん

どんなにしんどいことがあっても生活は続く。しんどいことと向かい合うためにごはんを食べて英気を養わないといけないし、食器が汚れるから洗わないといけないし、服を着て生活してるので洗ったり干したり畳んだりしないといけない。悲しんで打ちひしがれ、ぐにゃぐにゃ曲がりくねる感情のラインの隣を、生活のラインが淡々とまっすぐゆっくり流れている。そのギャップに戸惑う。私がこんなにもズタボロなのに、生活さんは何故素知らぬ顔で進んでいるんですか?それと同時にその実直さに励まされる。悲劇に浸かってる場合でもねえか〜!と立ち上がるきっかけになる。きっかけにしていきたい。できるだろうか。

一緒に暮らすデグーが8月末に急に調子を崩し、9月半ばに旅立ってしまった。大きなかなしみに呆然とする日々が続き、しばらくするとかなしさの解像度が上がりしんどさの種類が変わった。少しずつ声や感触の記憶が遠ざかっていて、さみしくて心細くて、でもだんだんとそれが日常になっている。受け入れがたい現実を、自分の内側に染み込ませているらしい。浸透させるには外側に涙をだばだば出さないといけないのか、所構わずだばだばするので難儀している。

2年近く通院してるので健康体というわけではないし、2週間ほど食欲不振気味ではあったが、前日までは元気に食べたり走ったり撫でられたりしていた。それが早朝に急に呼吸が苦しそうになり、かかりつけが休みで慌てているうちに、初めての先生に厳しい状態だと伝えられる。帰りの車中でつぶやく。そんな、急に言われても困る。私の親友を連れて行かないでくれ。おじいちゃんおばあちゃんご先祖さまこの子をこっちに繋ぎとめてくれないですか。苦しみを私に分けて、なんとかそばにいさせてください。
夕方に家に着き、母がテキパキ料理を始め日常をさばくのを見て「あなたは本当にすごい」と伝えた。「まずは人間がしっかりしないとだからね」と当たり前そうに言うのを見て、このひとは辛いとき悲しいときもそうやってなんとか乗り越えてきたんだなと知る。

デグーは南米アンデス山脈の高原地帯に生息する齧歯目で、カピバラやチンチラ、モルモットの仲間だがそれらよりもサイズは小さい。群れを作って生活し仲間と鳴き声でコミュニケーションをとる。その豊富な鳴き声からアンデスの歌うネズミと言われている、プィーッと気合を入れるし、ウーッと怒るし、キッキッと警戒するし、ピルピル甘えて、ぷぅぷぅ寝る。ヨーロッパで早くにペット化され、研究も進み人間の2歳だか3歳だかの知能があるらしく仕込めば芸も覚えるらしい。
つまり、日本の気候に合わない、小さいし決まった場所に排泄しないしなんでも齧って放し飼いに向かない、寂しがり屋で単頭飼いにも向かない、知能が高い分ストレスを受けることが多い。人間と暮らすのに適してないと、私は思う。

元々飼い始めたのは兄だった。生活の変化により実家で預かり、また兄の元へ戻り、そして帰ってきた。切れ切れだが4年近く暮らしてきた、6年の生きたうちの4年。私だったら飼おうとはならなかったし、存在すら知らないままだったと思う。出逢わせてくれた兄には感謝しているけど、無責任だとも思う。これに関しては複雑だ。
ただ、この4年、私自身のしんどい時期と重なっていたので、一緒に過ごしてくれて本当に救われた。たくさん笑って、かわいくてかわいくて、振り回されて、いっぱい心配して、自分にとって大きな存在になっていて驚く。ペットと思ったことはなくて、それは預かるのが始まりだったのもあるけど、一緒に暮らす姉弟とか親友とか、そういう存在だ。朝起きたらおはようと言って撫で、ごはんと水を替える、ケージから出して散歩をして、戻したらいってきます、ただいまをして遊び、ケージの前で昼寝をしたら一緒になって寝てたり、寝顔を覗いて起こしちゃったり、一緒の時間にごはんを食べたり、日が暮れたらケージに布をかけて暗くして、おやすみまた明日ね、と言ってきた。生活の一部がポッカリなくなって、まだどうにも整理がつかない。

今年の5月に脊椎の変形がわかってから、別れを真剣に考えていた(つもりだった)。デグーの火葬ができるところを調べたり心積もりをしてきた(気になっていた)。私に一番懐いているのは自他ともに認めていたので、私の手のなかで、私の声を聴きながら最後を迎えるのだろうと思っていた。実際は一番仲の悪い父の腕のなかだった。
その日の朝、なかなか寝床から顔を出さなかった。心配してこちらから手を出したら右半身が動かしづらい様子で、なんとか這い出てきてくれた。からだが冷えていて、抱きかかえあたため続けた。ああ、今日なのかなとは思ったが、母もいるし、きっと大丈夫だと言い聞かせ私は仕事に行った。思い返すと正常性バイアスというものだったのか。その後はずっと母が抱いていたがトイレと昼の支度のために父に預けて離れたら、そのときを待っていたかのように息を引き取ったそうだ。
仕事なんて行かなければよかったとひどく悔やんだし、母も苦しんでいたけれど、「私たちがそばにいると離れがたかったのかも」「コイツだったらそう悲しまないかと思ったのかも」など言って気持ちをおさめている。仕事を休まなかったことは今後事あるごとに取り出しては苦しむだろう。今日かもしれないと思ったならどうして一緒にいてあげなかったんだろう。ここ2週間ほど鳴かなかったのに、最後のほうおしゃべりするように鳴いていたらしい、でも苦しくて声が出ていたのかもしれないとも言ってた。撫でてほしいとき鳴いて呼ばれたりしたから、もしかしたら、呼んでくれていたのかもしれない。結局私は看取る覚悟ができてなかった。「どうしようもないことだ」と「そばにいたらよかった」をゆらゆらしている。

冷たくて硬い、毛がねている身体に触れて、身体は器でしかないんだなとわかった。器に魂と呼ばれるものが入っている=生きている、死は身体から魂が離れたことをいう。なら、抜け出てしまった魂はどこにいるんだろう。輪廻転生をするのか。死後の世界はあるんだろうか。毎日水とごはんを供えているけど食べてるのか。快適な場所にいるんだろうか、温度は?湿度は?軽快に走り回ってるのか。ここまではなんとなく想像できる、あたたかくてふかふかの場所で満腹で体が軽くてぷぅぷぅ眠る。じゃあ撫でるのは?撫でられるのが好きだったけど、だれが撫でてくれているんだろう?私の手が恋しくないだろうか、どうしたら撫でてあげられるんだろう。そんなことをぐるぐると考える。

ふかふかでつやつやの毛並み、肩に乗ったときの重み、足の甲に乗るあたたかさ、食事中のちょっかいで怒る声、ただいまで駆け寄ってきてくれる勢い、顔を嗅いでくるときのヒゲのこそばゆさ、砂浴びの激しさ、おやつへの執着、何度もかけてくるおしっこ、ちいさいあくび、インターホンにびびる顔と声、日光浴できらきらふくらむ身体、もりもり走って揺れるケージ、深追いする耳掃除、かじり技をものすごいスピードで齧る様子、その下のこんもりした木屑、手のひらで眠るあたたかさ、どんどこどんの毛づくろい、自分のおしっこをしつこく嗅ぐ仕草、嬉しくてぴょんと跳ぶジャンプ、伏せる瞬間のむっちり感、寝床でくるくる回るルーティン、お返しのあまがみ、きっとだんだんと思い出せないことが増えていく。動画や写真を何度も見るけど、全部は撮れてないし、そういうことじゃなく、なにかを少しずつ取りこぼしていってる。

死後の世界があるなら、また会うときまでタッタカ走ってもりもり食べて待っててくれ。輪廻転生があるなら、また巡り会って仲良くやろう。幕が閉じて終わりなら、私が生きてる限り何度も思い出すね。

死後のことはわからない、なんにせよ、私はきみがだいすきで大事だったから、これからずっと心細いけど、それでもなんとか、どうにかこうにか、きみと過ごした日々を栄養にして生きてみようかと思う。
だいすきだって伝わってたかな、伝わってたらいいな。これからも、なんならこれからもっとさらにずっと、だいすきだよ。最期の最期そばにいなくて、だめなやつで、ごめん。
一緒にいてくれてありがとうね、かわいいさん。

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