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テレビも特番だらけ

勤め先の忘年会に2年連続参加し、愉快に過ごしてきた。ビール2杯と日本酒すこしで、もりもり美味しいごはんを食べてとても満足した。
ただ、周りを気にしすぎる質なので、大人数で集まる場が苦手だし、普段はあまり関わらない人と話すと、居心地の悪い思いもする。今回強く感じたのは、ひとは他者に物語を求めるということだった。

30代でパートタイムだと結婚していると思われる、結婚をしていないなら旅行や推し活や趣味で忙しくしているひとだと思われる、なんかひとりで外国行ってそうとか追っかけで全国飛び回ってそうとかなんとか…うるせ〜〜〜!
私は私なりに頑張って今ここにいて、今後のことも私なりに考えていてうぐうぐとやっている。私はドラマの登場人物ではない、消費物ではない。人間そんなにわかりやすい物語で構成されているわけがないだろう。ちなみに趣味は手芸と散歩だ。

対象が不安定だとモヤモヤするから、ストーリーをつけたい気持ちはわかる。わかるし、私もやってきたんだろう。最悪だ、もうやらないよう気をつける。
決め付けの物語で満足して、そこで勝手に蓋をするの、めちゃくちゃ失礼だ。

「人間は、一つの死体をかついでいる小さな魂にすぎない」 
長田弘さんの『友人の死』という詩の一部抜粋を目にして、私の中で漂っていた死の輪郭がはっきりした気がする。
一緒に暮らしていたデグーが旅立ったとき、身体は容れ物でしかなくて、魂なるものが入ってる一瞬だけ生きているんだなと思った感覚と、この言葉は近い。
ハガレンで人間の「材料」を読み上げるエド、「人なんて切り開いて皮をはげばただの肉の塊だ」と吐き捨てるアンナチュラルの中堂さんのことを思い出す。死にしっかりと触れたひとの、数歩ズレた視点というか、なんというか、雰囲気が似ている。

長田弘さんを知ったきっかけは忘れてしまったが、たしか絵本からだったか、10年近く前に好きになった。全詩集も持っているのに、この詩にピンとこなかったから、載ってないんじゃない?とめくったらちゃんと載ってた。何かを理解するにはタイミングと経験と、たくさんの時間が必要になるんだな。
力強い理解者ができた気がして、ほっとした。

年末年始のイベント感が苦手だ。私は変化に弱いらしく、いつもと異なること、急なお誘い、予測が難しいことに直面するととても疲れる。なので年末年始も苦手だ、テレビも特番だらけだし。
ただ、幼少期と比べれば、特別感は随分薄れ、ちょっとした連休になってきた。
美味しいものが食べられる、だらだらしてもいいやと思える、連休。

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