古い人形と煤けた冠。
古い洋館に一体だけ残された、埃を被った何か。
人が住んでいた形跡が殆ど残されていないそこに少女は居た。
動くことさえ許されない彼女は、人ではないのだ。
その洋館の持ち主である、老父によって作られたアンティークドールだった。
≪どうして私は自由に動けないの≫
泣くこともできず、誰かに動かしてもらうことも出来ない。
一人では何も出来ないのだ。
彼女は人間ではないから。
その記憶と、螺旋、そして時刻に急かされて古くなるだけ。
埃を被るだけ。
≪生きることを、許されなかったのは私だけ?≫
夢を見る。生きる夢。
それは許されることのない事実。
玩具として世に出されるだけの可哀想な人形。
誰の目に触れるでもなく、急速に衰え、古ぼけた人形。
埃まみれのティアラが、床に落ちる音が響いた。
椅子に鎮座する、赤くまみれたドレスを着る古い人形-アンティークドール-の心臓部からは鎖、そしてその先には懐中時計が付いていた。
良く見れば、背中には螺旋が付けられている。
「おじい様も趣味が悪いわ。こんな人形をお作りなさるなんて!早く処分した方が良いわ」
その人形を見た一人の少女が声をあげて言った。
その人形の容姿と瓜二つの少女。
少女は赤黒いゴシック系の衣装を身にまとってブロンドのふわっとカールした髪型が特徴的だ。
人形とまるで違うのはその瞳だった。
彼女の瞳はとても好戦的で釣り目がちだった。
「まあまあ、アリス様。旦那様はあなたのためにこの子をお作りなさったのですよ」
「貴女は黙っててイーリアス。おじい様は亡くなったのだから早く屋敷から出て行けば良いものを……」
「ここを守ることを、旦那様と約束致しましたから。大丈夫。この屋敷はあの時から変わりなく、保たれていますよ。勿論、あの庭だけですけれど」
イーリアス、と呼ばれたメイドはとても嬉しそうに笑った。
光りと闇、まるでそんな対を持つような二人。
そして、その目の前に人形。なんとも変な図である。
「兎に角イーリアス、次ワタクシがここに来た時にこの薄汚れた人形がありましたら嫌でも貴女にはこの屋敷を出て行ってもらいますからね」
「……アリス様」
「この屋敷は、誰のものでもないんですもの」
赤黒い衣装をまとう少女――アリスは悲しげに瞳を伏せた。
そう、アリスのおじいさんの屋敷は他の誰でもない、あの人形のものだった。
おじいさんの遺言書に、そう記されていたのだ。
そして庭師のイーリアスだけは、この屋敷の庭を任されていた。
勿論、家には帰るが毎日おじいさんが大事に育てていたあの薔薇を代わりに育てているのだ。
遺言はそれだけだったのだ。
アリスに関しての言葉は何もなく、アリスはそれを聞いておじいさんの事が大嫌いになった。
そう、アリスには生前おじいさんに言われ”あの人形”しか残されていなかったのだ。
「おじい様はワタクシを大切に思ってくれてないんですのよ。だから……」
酷い虚無感を感じた。
きっと生きている時でさえあの人は自分を大切にするよりあの人形を大事にしていたんだと。
その晩、アリスは夢を見た。
「……?ここは……」
「こんにちはアリス。私の愛しい姉様」
「姉様ですって?貴女は……あの忌々しい人形!」
「あら同じ顔をしてらっしゃるのに。私を作ったのは貴女のおじい様だというのに」
自分の顔と同じ顔がそう紡いでいる。
酷く気持ちの悪い景色だ。
「ワタクシの夢にまで出てくるなんて悪趣味ですわ!」
「そんなことないですわ。おじい様は、貴女を……姉様を愛していたからワタクシをお創りなさったのですよ?」
「え……?」
「姉様はおじい様に会いには来なかった。でもおじい様は姉様に会いたかった。でも、もう動かなかったのですわ」
「……病気で、体が……」
「ええ。ですから、姉様を想う気持ちが、ワタクシになったのです。ワタクシは貴女であり、貴女はワタクシ」
「え……と……?」
「つまり、あの屋敷は貴女のものなのですわ姉様。イーリアスはきっと知っている。おじい様の本当の遺言を」
「イーリアス、が……?」
「庭師イーリアス・ガロッツォーネはおじい様の奥様である、マリアンヌ・ガロッツォーネ様の妹でしたの」
「イーリアスが?」
「ええ。ですからきっと、イーリアスは知っているはずです。本当を」
「……気味悪いとか、悪趣味だとか、本当にごめんなさいね、……アリス」
「ワタクシこそごめんなさい姉様。きっともう、会うことも無いと思います。どうか、お元気で」
そこで目が覚めた。
不思議ととてもスッキリしていた。
イーリアスに全て聞かないといけないと思い、また屋敷を訪れる。
「イーリアス」
「アリス様。こんなに朝早くどうしたのですか?」
「教えて頂戴。おじい様の本当の遺言を」
「……どこでその事をお聞きになったんですか?」
「あの、」
「?」
「あの人形が、ワタクシの夢に」
「そうでしたか。そろそろ頃合いだと思っておりました」
「あの人形は私で、私はあの人形だと」
「そうですね。生前、旦那様はアリス様をとても愛しておりましたから。一目でもお会いしたかったんだと」
「……どうして私、会いに行けなかったのかしら」
「旦那様は貴女を一番に思っておりました。アリス様が楽しく過ごせる事の方が嬉しかったと思いますよ」
イーリアスのその言葉にぐっと下唇を噛んだ。
後悔しても遅いのは分かっているが、悔やみきれな思いが涙に変わる。
「ああアリス様、泣かないでください。旦那様まで報われなくなります。…それから本当の遺言の事お話しましょう」
「…っ」
「このお屋敷は貴女のものです。好きにしていいと、旦那様は仰っておりました」
「イーリアス……お願い。このお屋敷と…あの子を守って」
「ええ、貴女の言葉通りワタクシはこのお屋敷とあの子を守りましょう」
イーリアスは笑って頷いた。
きっと私はもうこのお屋敷には来られないような気がする。
だからこそ、イーリアスに全て託そうと決めたのだ。
一歩洋館から踏み出せば、私にはその洋館が見えなくなってしまった。
決めた事だ。
もう一人のアリスは、この方がきっと幸せでいられるのだと。
「ありがとう、おじい様。愛して下さって……」
その愛情が、もう一人のアリスが最も欲しかったもので、手に入らなかったものだと言う事を知らぬまま。
アリスは洋館を後にした。
それからアリスはもうあの洋館には行く事はなかったという。
――私はガラクタ。
おじい様に愛されていたのは、私じゃなく紛れもなくアリス。
私ではない、アリス。
私は結局器ではなかった。
螺旋を巻かれたかった。
他の誰でもない、おじい様に。
こんな大層なティアラなんて、要らなかった。
……そうね、本当は自由になりたかったのかもしれないわ。
おじい様のように、私も動かなくなってきたわ。
アリスは…。本当のアリスは幸せでいられたのかしら。
私が自由になれなかった分、とっくに幸せになれたかしら。
錆ついた螺旋はもう、動かなくなってしまったわ。
この世に産まれた瞬間はとてもとても綺麗に美しく見えたのに。
――私は、ガラクタ?
それならばいっそ、この煤けたティアラと共に生きて魅せましょう。
その夢を、自由さえを奪われたのなら。
古い洋館に棲む、幽霊のお話。
それは彼女――永遠の少女を象徴したアリスの姿をした古い人形-アンティークドール-の事なのかもしれない。
「ようこそ、私の大事なお庭へ。迷い混んでしまったのかしら?大丈夫。ちゃんと帰り途は案内してあげるわ」
含んだ笑みをした、少女の姿で。
【古い人形と煤けた冠。】
(その洋館に棲む少女は、愛される事も愛する事も分からずに産まれてきてしまったのだ。ただ、生きて愛されたかった。動く事を夢見ていた。)
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