見出し画像

やさしいSNS

やさしいSNSって無いのかな、無いだろうな。
なんて事をよく考える。

この場合におけるやさしいと言う言葉が指す意味自体が私個人の観点から出た言葉なので、この時点で真の意味でのやさしいSNS像は多種多様に分岐しているのが分かってしまう。

なので湧き出た疑問はあっと言う間も無く即座に否定される、それなのに何故この思考が頻繁に繰り返されるのかを考えてみる。

SNSを見ると精力的に活動している人達が沢山いる、精力的に活動しているものだから、人の目にも留まる、人の目に留まると言う事は批評の対象になる事を意味する。

ポジティブな評価を推進力として進み続ける強い人、こう言った人こそが本来最も得難く尊い存在だと思う。

ネガティブな評価を枷として批評に振り回される人、私はこう言った人こそをより多く見かける事がある。

私の思う存在して欲しいやさしいSNSと言うのは、どちらかと言えば難易度が低いと言う意味での「易しい」SNSだ。

大概の事に当てはまるであろうと思うけれど、難易度が低いと言う事は自然と得られるものも大したものでは無いだろう、しかしSNSにて何かを得ようとする人がスタンダードでは無いとも思う。

私の思う「易しいSNS」は現実世界とSNSを完全に分離させ、SNS上の人々になんの期待もせず、言葉の上澄みで表面的な会話をする、虚無的な空間の事なのかもしれない。

そこにリスクリターンは無く、現実世界においてリスクリターンを求めるのに疲れた人々がぬるま湯に浸かり傷を舐め合う怠惰な空間だ。

私の考える「易しい」と言うのは老いの先に有る様な一種の諦めの境地。

無いSNSについて夢想する、休んだ方が良いのかもしれない、いささか不可逆的な領域にまで来てしまっている気もするが、もはやしようがない。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?