幼少期。ほんとにまだ3歳くらいの頃。 外で遊ぶのがあまり好きじゃない、酷い人見知り、そして何となく暗かった家族。 幼いながら無意識に空気を読んで生きてきた。 自分のやりたいことより他人の顔を伺ってそっちを優先してきた。自分を優先して周りに煙たがられる方がストレスだったからだ。 社会の事など何も知らず、自信も無く、意思も無く、言われるがまま、反論もしないまま。 早く大人になって、もっと色々分かるようになって、暗いこの時間を抜け出したかった。 今、色んなすごい人に出
親の言葉は良くも悪くも子に大きな影響を与える。 それは心の中で湧き出る感情、そして表れる態度であってもそうだが、言葉になると強みが増すのは間違いない。なぜなら言霊という言葉の通り言った途端、心身ともに植え付けられるからだ。 例えば、ふと母親が「肉の脂身は食感が気持ち悪い」と何の気なしに言ったとする。すると、それを聞いた子は「そういうものなのだ」と判断する。子は想像以上に親の言葉に影響されやすい。 親が好きな、もしくは嫌いな食べもの、人、場所。まだ幼い子にとってそれは洗脳
大学3年の11月、病院実習があった。 実習の前に1度打ち合わせがあり、今日はその日。 打ち合わせが終わり、病院から近い母方の実家へ歩いて帰った。 その帰り道の途中、小さい頃によくいとこや兄と遊びに行っていたくじら公園(たぶん)を見つけた。 クジラの滑り台があったからくじら公園と言っていたのだと思う。 その公園のブランコに乗ってみた。 11月だからか、昼なのに冷たい空気とブランコのキコキコ揺れる音、茶色い葉っぱと木の香りがして、懐かしくもちょっと寂しい気持ちになっ
小学生の頃、確か1年生か2年生。学校が終わって家に着いたが、鍵が閉まっていて家に入れなかった。 すごくすごく不安になり、庭を抜けて道端で大泣きしていた。 すると、80代か90代くらいのおばあちゃんに「大丈夫かい?」となだめられた。 しばらく経つと朝勤から帰ってきた父親の車が見え、父親が車から出るとすぐにおばあちゃんにペコペコお辞儀して玄関の鍵を開けた。 当時子供だった私はろくにおばあちゃんに礼も言えず、それどころか家が開くや否や、そもそも開いていなかった事に
地方のCMで流れる安いBGM(ボサノバやジャズ)が割と好きだったりする。 全く関連性は無いが、3歳くらいの時に母親と手を繋いで歩きながら近所のおっさんちにとうもろこし貰いに行ったりしたことを思い出す。 そして言葉では表せないぼんやりとしたあの感情が込み上げる。 みんなもそーゆうのあるんだろうな。 そーゆう思い入れも無いものに思い出が蘇る。
今日も気持ちの良い秋晴れ。 プリズムが作り出した虹色のキラキラは、部屋を煌めかせながらゆらゆら揺れていた。
今日は金曜日。月曜から始まる実習のため、絶対に大学へ忘れ物を取りに行かねばならない。 昨夜から今日のやるべきことをメモしたのに、今朝起きた時にはとても行く気が起きず、結局行けなかった。 まず大学へ行ったらロッカーの中の忘れ物をカバンに詰め、その後4.5限の授業まで時間があるため、図書館で勉強して待ち、授業を終えたらスタジオへ向かい、ピアノの練習と今作っている曲のデモを仕上げようとしていた。 しかし、本当にやる気が出なかった。はぁ、最悪だと思いながらも、生
昨夜呑んだビールのアルコールが抜けないまま起きた。ちょうど10時くらい。 顔を洗ったらすぐにスキンケアをした方が良いのだが、この季節は顔を手の甲で撫でるとサラサラと気持ち良い。そのおかけでスキンケアをサボってしまった。 カーテンを開ければ、雲ひとつ無い秋晴れで、直射日光は目の奥を刺激させる程だった。 暖められた御座の上を裸足でペタペタ歩いたり、お気に入りの椅子に座り、珈琲牛乳を飲みながら好きなラジオを聴いた。 光に当てられた椅子や障子、カーテンが美
この日は高校時代の友人たちと久しぶりに再会できた。 お昼時、向かったのは良い雰囲気の喫茶店。 店主が調理をし、その奥さんがホールで接客をしていた。平日のお昼ということも相まって、たくさんのサラリーマンたちがカレーやオムライスを平らげた後、ゆっくり珈琲を飲みながら談笑していた。 食後、先程このお店の隣にある中古屋で買ったレコードやCDを、みんなで見せ合いながらそれぞれの嗜好を語り合ったところでクリームソーダもはじけだした。
水面に射し込んだ陽の光は、コバルトブルーの絵の具に一滴の水を垂らしたように溶けた。 すると、群れになって泳ぐ魚たちの鱗を煌めかせ、魚たちはぐるぐると回りながら、沢山のキラキラをちりばめた。この現象は窓際のサンキャッチャーと似たようなものに思える。 泡は7色に照りつけられ、ゆらゆらとシャボン玉のように揺れ上がって行く。 陽の役割について、何となくわかったような気になれた。
高校時代の女友達2人と海近くのホテルに泊まった。 私は昔から寝付きが悪く、ふたりに早起きして日の出を見ようと言われた時は正直気が引けたが、結局私が一番乗りでふたりを起こす事になったくらいには楽しみにしていた。
休日午後三時頃、大学の課題をさっさと済ませ、よく行く公園へ出掛けようとしていた。 クタクタのパジャマからデニムに履き替え、靴下に関しては目もくれず、ごそごそと引き出しに手を突っ込んで手に取れたものを履いた。上は面倒なので、パジャマの上からハリントンジャケットを羽織り、寝癖が着いたままの髪を押さえるようにペイヴメントのキャップを被った。ショルダーバッグには百円玉2枚と、スマホとイヤホンと小説『西の魔女が死んだ』を詰めた。 家にある貰い物のMINIのチャリは祖父が