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他人が死ぬということ

(ここでいう他人というのは、見ず知らずの人というより私以外の人という意味合いです。)



1ヶ月前ほど前、
私の部活の一個下の後輩が死んだ。

『昨日、◯◯さんが亡くなりました。』

それだけで空気が重く、体は沈澱したように動かなかった。


そのあとはそれを聞いた私たち部活のメンツのメンタルのためだろう、ショックを受けるのも仕方がない、カウンセリングを受けないか、そういった旨の話が続いた気がする。

そういう話をするってことは、彼女は、自分でこの世を去ったのではないかと、嫌でも考えさせられる。現実が遠慮なく心に上がり込み私の頬を叩く。

あぁ、他人が死ぬっていうのはこういうことなんだ。

ただそういう感情が目から涙として溢れた。
部活の仲間たちは目に何も映さず、ただ静かに涙を流していた。


次の日も、世界はいつも通り世界で、彼女が死んだあとも世界は世界だった。
(結構、残酷だよな。)
そう思いながら電車に乗っていたことだけ、覚えている。

彼女が死んで1ヶ月。
私は今日も生きてる。

自分が死ぬことについては悲観していない。生きてることと死んでいることは、起きているか寝ているかとそんなに変わりないと思っている。

それでも、他人には死なないでほしい。他人が死んだらこんな気持ち、と不意打ちで、それでいて衝撃を伴って、知らされたから、もうこんな気持ちはしたくない。他人が死んだら、ちゃんと悲しく、ちゃんと涙が出て、ちゃんと失う。ちゃんと、というのは言葉が変だろうか。でも今までほぼ幻想に近かった感情をはじめて抱いたから、ちゃんと、と感じた。

他人が死んだら悲しいと気づいた初夏だった。

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