見出し画像

忘れられない貴女のこと。

私には、友情とも、愛情とも名付けられない、たいへん形容しがたい感情を抱いている友人がいます。
大学で出会い、共に卒業することができず、今は遠く離れた場所で生きている彼女について、ここに書き残そうと思います。


彼女とは大学の入学直前、学生寮の寮生として出会いました。同じ学部学科に入学する子で、ニカッと表現するのがしっくりくる笑い方をする子でした。
関東の、お嬢様学校ではない女子校を卒業したという彼女は程よく活発でコミュニケーションに長けており、人見知りな私ともすぐに仲良くなってくれました。

彼女は、とにかく私とは何もかもが正反対でした。好きなことには全力投球で非常に熱心な一方で、興味のないことは必要だとわかっていても全く頑張れない。オブラートに包まず言うと、そんな学生でした。
真面目で、模範生であることだけが取り柄だった私とそんな彼女がよく一緒にいることを、友人たちは「なんで2人が仲良いの?」と不思議そうでした。その気持ち、分かります。私だって不思議でした。
彼女は、私のコミュニティにおいては非常に異質な存在でした。もし、高校卒業までに出会っていたら友人にはならなかったかもしれない。大学で出会ったことにこそ、意味があったと思います。同じ学問を志した人間同士として出会ったから、良い友人になったのだと思います。
好きなことに熱量を注ぎ、誠実に向き合う彼女は、私にとって眩しいほど輝く存在でした。

同じ大学、同じ学部学科の同級生かつ寮生もとなれば、必然的に一緒に過ごす時間も長くなります。
別の教室で授業があっても終われば合流したし、昼食も一緒。おしゃれして一緒に出かけることもあれば、すっぴんを晒してお互いの部屋で寝泊まりしたこともありました。
本当に色んな話をしました。彼女は性格的に私と正反対でありましたが、趣味嗜好も価値観も全く違ったものを持っていました。彼女と話す中で、私の常識や価値観がぶち壊される経験が何度もありました。比較的頭の固い私が、それを嫌悪ではなく多様性だと受け入れられたのは、彼女の表現ゆえだったと思います。彼女から教わったことは、今の私の仕事に生きています。素晴らしい経験を本当にありがとう。

さて、彼女とは大学で出会いましたが、切り口が少し違います。
私は大学受験に失敗して、滑り止めの滑り止めとして合格し、入学しました。彼女は大学のオープンキャンパスで、とある准教授に強く惹かれ、推薦で入学したそうです。
彼女が元々その時代の文学に興味を持っていたことも合わさって、その専門に対する彼女の熱量は人並外れたものがありました。それに釣られて一緒に講義を取り、沼にハマり、最終的に私はその准教授のゼミに所属し、卒業論文を指導していただきました。

「なんで2人が仲良いの?」と周りから言われるほど異質同士ながら常に一緒に時間を過ごし、私に多大な影響を与えた彼女は大学3年生、コロナの到来とともに大学を中退する形となりました。あれほどの熱量を持っていた彼女を蝕んだ最大の原因が何だったのかは、今でもわかりません。彼女にとっての大学は、実際に通ってこそ意味のある場所だったのかもしれません。なんにせよ、彼女は大学を中退し、寮を出て、地元に帰って行きました。

残された私は先述した通り、彼女が憧れた准教授のゼミに所属し、卒業論文を指導していただきました。「彼女の意思を継ぐ」等という美談ではありません。大学で学ぶ中で、彼女と話す中で、そこに私のやりたい研究が見つかっただけです。その教員は彼女のことも、私と彼女が非常に親しかったことも知っていて、何かと気にかけてくださいました。
平日も土日も関係なく、研究に没頭しました。ゼミの日は何時間も准教授の研究室で話し込みました。完成した卒業論文は所詮、学士レベルでしたが、やり切った感に溢れていました。その年度の優秀な卒業論文の一つとして表彰もしていただきました。

大学を卒業して1年半ほどになります。元々連絡がマメではなかった彼女と連絡を取る機会は少なくなりましたが、誕生日には欠かさず連絡をくれて、彼女にしかできない表現でお祝いしてくれます。
私の大学時代は彼女なしでは語れません。そんな彼女と共に卒業できなかったことは大変な心残りではあります。「まあ、元気に生きていてくれればいっか」とも思いますが。
どうしても彼女と行きたい場所があります。夏が美しい場所なので、次の夏こそ行こう、と話をしています。

拙くて、全部を書き残せたわけではないけれど、これが今の私が彼女について書ける全てです。

私が誰よりも大事に思う、忘れられない人の話でした。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?