20220823#林日記 「私は怒ってる」
昔、お父さんと2人でカラオケに行った。
3時間パックで入店、入った瞬間にポテトフライを注文した。しかし1時間たってもポテトフライは来なくて、疑問に思ったお父さんは店員さんに「ポテトフライ通ってますか?」と聞いた
すると店員さんは「通っています」と言っていて、だから私とお父さんはまたしばらく待つことにした。
しかしその後もなかなかポテトフライは来ず、結局、ポテトフライが来たのは私たちが入店してから2時間45分経ってからだった。
お父さんはポテトフライをもってきた店員さんに問うた。「頼んでから2時間45分もたっているよ、どういうこと?」
お父さんは怒っていた。怒っていたので、あのセリフを言った。「責任者を呼んでくれ」
まだ小さな子供だった私は思った。「ドラマでしか聞かんセリフやん」
しかし責任者は不在と言われ、お父さんは自分の会社の名刺を取り出し、ここに必ず連絡して来いと店員さんに名刺を手渡し、カラオケ店を去った。
そして数日後、菓子折りを持ってカラオケ店のお偉いさんがわざわざ家まで来た。そしてカラオケ店の割引チケットを差し出し、この度は申し訳なかったと父に謝った。
しかし父は怒っていた。
純粋に、ポテトフライが注文してから2時間45分後に提供されたことに対して、そのことに対してシンプルに怒っているのだ。
だから、菓子折りも割引チケットもなんの意味もなさない。父は再び問う。
「頼んでから2時間45分もたっていたよ、どういうこと?」
再び謝り今後の社員教育の徹底を誓うお偉いさんに、「僕が言いたいのはそういうことではない、なぜポテトフライが2時間45分後に届いたのか、その理由を問いたいのだ」とひたすら同じ質問を投げかける父。
私はその様子を見て泣いた。
「許してやったらどうや…」
私の中の茂造が何度となくそう叫んでいた。
父は荒ぶることなく、ただ冷静に怒る。一歩も引かない。
そんな父の姿を見てつらくて泣いた私だが、大人になって、その血を色濃く継いでいるな…と感じることがある。
それは「夜行バスの案内アナウンスが長すぎる」ことに、異常な苛立ちを感じることだ。
私は夜行バスに比較的よく乗る。予約するときにはわざと会社をずらしていろんな種類のバスに乗り、より快適なバスを探している。
各会社によってさまざまなんだけど、3台に2台の確率で、アナウンスが長い。私はそのアナウンスを聞きながら、歯が粉々に砕け散るほどの歯軋りをしている。苛立ちからくる衝動である。
何故そんなに苛立つかというと、そのアナウンスをする必要があるのか?そういったことまでアナウンスするからだ。
たとえば、「トイレでご飲食しないでください」
え?する?トイレで飲食する?あのグラグラ揺れるせっまいせっまいところで?食べるかな?たべるかな〜まあこれは可能性としては0じゃないか…
と思いますけど、このアナウンスで「アッ!トイレでご飯食べちゃだめなんだ!」てハッとする時点でちょっとズレてませんか?し、食べる人間はこのアナウンスがあってもなくても食べるだろうし、よってこのアナウンスは不要だと思います という理由から脳の血管が切れるほどにこのアナウンスにムカつきます。
あとは、「トイレのドアはお閉めください」
は????閉めるだろ閉めるだろ閉めるだろ閉めるだろ閉めるだろ閉めるだろ!!!!!!いるか?!!?!そんなアナウンスいるか!?!!!!そんなことを爆音でアナウンスするな!!!!!!!!!!!!!!!!!怒るぞ!!!!!!もう怒ってるけど!!!!!!湯が沸く湯が沸くこの怒りで湯が沸いてしまうわよって〜!?!!!!!!
他にも常にムカついているがムカつきすぎてほとんどの内容が入ってきていないので、本当にアナウンスが意味をなさない。私にとって。
初めてこのアナウンスの長さを体感したとき、あまりに腹が立ちすぎて、バス会社のホームページの問い合わせページまで行ったことがあった。
そこに何故そんな無意味とも思えるアナウンスをするのか?
理由を問いただす文章をつらつらとフォームに入力し、もうあとは送信ボタンを押すだけ…!という時に、私の中の茂造がいうのだ
心の中のイマジナリー茂造、ありがとう
明日は大阪でライブゥ!
じゃあバイバイ
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