ボブ・ディラン Mozambique


 この曲が録音された1975年7月に先立つ、6月25日にモザンビークはポルトガルとの15年に及ぶ植民地解放戦争が停戦となり、モザンビーク解放戦線は独立宣言を果たした。それまで、モザンビークの原住民はポルトガル政府の管理会社によって奴隷以上の強制労働を強いられた。彼らは生まれながらにポルトガル語を公用語とする中で、自分達の言語は失われ、95%は文盲だったという。
 この曲の中では、モザンビークが楽園のようなリゾートとして描写されている。実際、ポルトガルの海外州時代は、ロレンソ・マルケス(現在の首都マプト)の歓楽街では、世界中から数千人の美女が集まり、働いていたらしいが、ここでは、そんな解放戦争以前の植民地時代のモザンビークを歌っているわけではないだろう。語り手の白人は、解放されたモザンビークで休日を過ごしたいと考えているが、自分が行くわけではない。もし、行く人があれば、楽園のような日々の最後にちらと砂浜と海を見る時に気がつくのだという。モザンビークで自分が過ごした時間が特別であった訳を。それまで観光客だから特別扱いされていただけなのだと。帰る間際に、客ではなくただの白人となった瞬間に敵意のような感覚を肌で感じることになると。
 このように、歌詞の内容と曲調が相反する関係にあることが、ディランの曲にはたまに見受けられる。有名な曲で言えば「Just like a woman」などは、詞の内容としては、女性を「まるで女のようなイキモノ」として扱ったかなり残酷な内容であるにもかかわらず、抒情的な美しい曲となっている。映画における場面と音楽の対位法のような関係が、ディランの詞と曲には時に見られるが、ここでもその手法が使われているようである。この曲はジャック・レヴィとの共作となっているので、おそらく歌詞の大半はジャック・レヴィによるものと思われるが、ジャック・レヴィは政治的な視点から、ディランは黒人女性に対する自らの嗜好からこの曲を見ているようだ。
 モザンビークでは社会主義国として独立以後も、内戦や干ばつ、経済政策の破綻などで1992年まで混乱状態が続くことになることも、この曲のもつ皮肉な側面をより強くしている。


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