ショートショート 「思い出」

「ねえどおかしら。ちょっと知り合いの紹介で美容室をかえてみたの」
「あら、お義母さん、素敵じゃないですか」
「ニューヨークで修行をしてきたカリスマ美容師なんですって」
「カリスマ…」
「カリスマって言葉はご存じよね」
「ええ、ええ、すみません。よくお似合いですわ」
「お客さんはベリーショートの方が若く見えていいと思いますよって言われちゃってねえ」
「ええ、見違えましたわ」
「でも、ここまで短くするの初めてだから変じゃないかしら」
「とんでもない。若々しい上に品がありますわ」
「まあ、ほほほほほほ」
 そこへ、孫が部屋へ入ってきた。
「ママ…」
「ほら、お義母さんにごあいさつなさい」
「あ、おばあちゃんこんにちは」
「あら、きちんと挨拶できて偉いわね」
「お義母さん髪をお切りになったんですって」
「ほんとだ」
「見違えたでしょう」母が言った。
「うん、もう、おばあさんには見えないよ」
祖母は顔を輝かせた。
「そお?」
「うん、まるでおじいさんみたいだよ」
祖母はさらに顔を輝かせた。
「まあ、ほほほほほほほほ」
「こら、なんてこと言うの」
「怒ることないわ。子供の言うことじゃないの」
「ママ、歯が痛い…」
「あら、やだ。口を開けてごらん。はい、あーんして」
「あーん」
「見ても分からないわ。虫歯かしら」
「どれ、見せてごらんなさい」
「あら、お義母さま」
「ちゃんと、歯は磨いている?」
「うう」
孫は口を開けたまま答えた。
「ええ、きちんと磨く習慣をつけるようにしているんですけど…」
「いくら磨いても、磨き方が悪ければ何にもならないのよ」
「ええ、そうですけど…」
「わたしが磨き方を見てあげるから、こっちいらっしゃい。」
祖母は孫を連れて洗面所に向かった。
「いつものように歯を磨いてごらんなさい」
孫は素直に歯を磨き始めた。
「だめね。もっと歯ぐきからしっかり磨かないと」
祖母は屈みながら孫の手を取って、歯磨きの指導を始めた。
「それ、ぐっく。ぐっく」
祖母は掛け声と共に孫の手をとって動かした。すると、孫の口のわきから、白いはずの歯磨き粉に赤いものが混じったものが垂れてきた。
「痛いよお。おばあちゃん血が…」
孫は祖母の手を振り払うようにして歯磨きを中断した。
「その血がいいのっ」
祖母は声を荒げた。
「悪い血を全部だすのよ。それ、ぐっく。ぐっく」
祖母は孫の手をとると、力強く動かしながら孫の歯を磨き始めた。母は不安そうに眺めていた。
「うう」
孫はしばらくなすがままに任せていたが、やがて口はしまりがなくなり、白と赤の混じった液体が、あごから滴り落ちた。
「それ、ぐっく。ぐっく」
祖母の掛け声を聞いていると、孫の脳裏に閃光のようなものが走った。
「痛いんだよっ」
孫が思い切り肘を張ると、かがんでいた祖母の目のあたりに当たった。
「あっ」
祖母は何が起こったのか分からないような顔をしながらよろけた。
「あ、あ、あ」
呻きながら目を抑えてしゃがんでいると、孫が声をかけた。
「痛いって言っただろっ」
「こらっ。…お義母さん、大丈夫ですか…」
母の声を背に、彼は廊下を駆けて行った。

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 彼は幼いころの出来事を何故か思い出した。覚えているのが不思議なくらいだった。
 テーブルの向こうでは、交際中の彼女が皿の上の料理を食べるでもなく、ナイフとフォークでいじくっていた。そして、フォークをおくと、目をつむって口に手を当てた。
「眠いの?」
 彼はワイングラスを片手に彼女に声をかけた。





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