憧れだったあの人は、別の世界の住人で
学生時代、私には憧れの人がいた。
その人はいつも明るく、楽しそうで、気付けばみんなの輪の中にいる人だった。
私にはオーラなんて見えやしないけど、その人がキラキラ輝いているのは分かったし、その人が少し面白いことをいうだけで、その場がぱっと明るくなるのが分かった。
目で追えば追うほど、憧れの気持ちは強くなる。
いつしか私もあの人のようにキラキラ輝いて、みんなに良い影響を与えられる人になりたいと思うようになっていた。
そんな私にチャンスが巡ってきたのは、高校1年生の秋、文化祭でのことだった。
私が通っていた高校では、1年生は劇などの舞台発表、2年生は出店などの出し物、3年生はその両方と暗黙の了解で決まっていたので、出し物は必然的に舞台発表になった。
舞台発表では、漫才をしようが、歌を歌おうが自由だったけれど、クラスの出し物=みんなでやるものというイメージが強かった分、出し物が「劇」に決まるまでそう時間はかからなかった。
そしてそのままトントン拍子で、誰かが声高々に言った「HIGH SCHOOL MUSICAL」をやることに決まった。
と、ここまでは順調だったものの、肝心の劇を統括する「クラス代表」が全く決まらなかった。生徒のほとんどが何かしらの部活動に入っていることもあり、ぶっちゃけそんな時間はないという人が大半だった。
でも、誰かがやらないといけない。
クラス内を見渡して見たけれど、部活動に入ってない人は5−6人。この中に漏れなく私も入っていた。
5-6人のうち、そもそも文化祭に興味のない人、絶対に前に出たくない雰囲気を醸し出している人・・・と絶対にやらないであろう人を挙げていくと、対象はさらに絞られていった。
「誰か早く立候補してくれたらいいのに」
と声に出す人はいないものの、クラス中がそんな空気になっているのを感じた私は、ここで手を挙げるべきか頭を悩ませた。
別にやりたいわけではない。しかも過去に誰かのサポート役をしたことはあれど、代表として表立って活動したこともない私が立候補するのは違う。
そんな風に思っていた。
けれど時間が経つにつれて、どんよりとした空気がクラス中に広がっていく。と、誰かが部活に入っていない人を数え出し、ひそひそと話す声が聞こえてきた。
もう、耐えられない・・・そう思った私はばっと手を挙げた。
いや、挙げざるを得なかったという方が正しいのかもしれない。
でもその瞬間、みんながほっとしているのが伝わって、これで良かったんだと思った。
誰でもいいクラス代表。
だから誰も私に期待している訳ではない。
ただやるからにはちゃんとやろう、形にしよう。そう決めた。
その時の私の頭には、「憧れのあの人」のようにみんなの輪の中で動いている自分の姿が浮かんでいた。
不安だらけの中、「あんな風になれるかも」というちょっとした期待も抱きつつ、文化祭準備が始まった。
劇の準備は想像以上に大変だった。
脚本に名乗りを挙げてくれた子と2人で、「この場面、そのまま再現出来たらいいよね」なんてきゃっきゃ言いながら脚本を作り上げたものの、それをどう演出し、どう再現するかにめちゃめちゃ頭を悩ませた。
今思えば演劇部が披露するような、なかなかに盛り込みまくった内容だったと思う。部活をしている人が多い中、それぞれが片手間でやるにはあまりにも時間が足りなかった。
けれど完璧な脚本ができた!と思っていた私は、なんとしてでもこのまま本番を迎えたかった。
イメージだけは、私の頭の中にあった。
劇終盤、消えたヒロインが客席から登場する仕掛けで見ている人をあっと驚かせる演出や、最後に裏方も含めた全員が舞台でダンスを踊り、体育館全体を巻き込んでいく様子・・・
それはもう色鮮やかに、完璧に出来上がっていた。
だからこそ、このイメージをそのまま実現させたいと思ったし、みんなも全力で協力してくれるだろうと思っていた。
けれど、私のその思いが強くなればなるほど、次第にクラスメイトとの間に温度差を感じるようになっていった。
それもそのはず、部活をしている人から見れば、文化祭でする劇の練習なんて二の次でしかなかったからだ。
運動部の人は週末の練習試合や、大会が控えていたし、文化部の人はそれこそ文化祭に向けての練習に勤しんでいたから当然だ。
私はといえば帰宅部で、バイトをしているといっても部活をしている人たちと比べたら自由な時間がたんまりある。
だからみんなには部活がある、部活が第一優先だから・・・と頭では分かっていたものの、日に日にもっと協力してほしい、もっと本気になってほしいと思うようになっていった。
そして本番が近づくにつれて、その思いをそのままぶつけるようになってしまった。
「ここの動きちゃんと覚えてきてって言ったよね?」
「あと2週間しかないんだからもっと危機感持って」
「部活部活って忙しいアピールいらないから」
うっすらとしか覚えていないけれど、確かこんな事をいろんな人に言っていたような気がする。
言われた方はムッとしたり、しょんぼりしたり、反応はさまざまだったけれど、「みんなが協力してくれないと憤る私」と「渋々やらされているクラスメイト達」というそんな空気感が出来上がってしまった。
この頃にはもう、クラス代表に立候補した時に描いていた「みんなの輪の中で動いている自分」のイメージは崩れていて、なんなら文句も言われるような有り様だった。
ここで少しでもクラスメイトに歩み寄れていたらと今では思うけれど、当時の私は初めに描いた理想像を捨てきれなかった。
だからみんながどう思おうと、劇が成功すればそれもプラスになると信じて、そのまま突き進んだ。
成功したらきっと、みんな喜んでくれる。
ありがとうと言ってくれる。
そして私はあの人のように、満面の笑みでクラスの真ん中にいるんだ。
そう信じて疑わなかった。
そして迎えた本番。
表面上は、多少のタイムロスはあったけれど許容範囲、見られるものには仕上がっていたと思う。
けれど案の定、盛り込みまくった演出は完璧にはいかなかったし、裏では終始バタバタしていて、終わった瞬間に浮かんだのは「やっと終わった」という気持ちだった。そしてこう思っていたのはきっと私だけではないとも思う。
この文化祭では、1日の最後にに観客の投票で「劇」「出し物」それぞれ学年ごとに順位が発表される。
私たちの「HIGH SCHOOL MUSICAL」は3位だった。
正直全然完璧じゃなかった。
だけど見ている人からは「良かったな」「楽しかったな」と思ってもらえたことが純粋に嬉しかった。
1位にはなれなかったけどちゃんと結果も出せた。色々あったけど私はクラス代表という役割をちゃんと果たせたのかなと思うことができた。
だからこそ、この後みんなからの「ありがとう」「お疲れさま」という言葉を少しだけ期待したのだ。
けれど順位発表と表彰が終わり、私を待っていたのは静かな教室だった。
担任からのぼそぼそとした「3位おめでとう」という言葉。そしていつものホームルーム。
「お疲れ様でした。解散」という言葉を待っていたかのようにして、部活に駆け出していくクラスメイト達の姿。
そう、結局私は誰からも「ありがとう」と言われなかったのだ。
唯一言ってくれたのは、脚本を書いてくれた友達の「はるちゃん、お疲れさま」だけ。
みんなが帰った後、窓からグラウンドを眺めながら、「こんなはずじゃなかったのに」と何度も思った。
多少強引でも、嫌な気持ちをさせてしまっても、終わりよければ全てよしという言葉があるように、結果が出せれば全てチャラになると思っていた。
なんなら自分が憧れていたキラキラ輝くあの人になれるとも。
だからこそ慣れない「クラス代表」も頑張れたし、文句もスルーできた。誰にも相談せず、抱え込んででも走ってこれた。
それなのに、この結末。
私は誰のために、何のために頑張ったんだろう。何を犠牲にして、何を得たかったのだろう。心にぽっかり穴が空いたようだった。
***
ここからは、後日談。
翌日から1ヶ月くらい、私の一連の行動に不信感を持った子達に全力で無視され続けた。いじめなんて大層なものではなくて、ただただ無視。
だから誰にも気づかれなかったし、誰にも言えなかった。文化祭の余韻を引きずるどころか、傷をえぐられるような日々。
幸い、色々あって1ヶ月くらいで終わったけれど、孤独で、つらくて、虚しい時間だった。
この出来事から10年ほど経ち、今改めて思うのは、私が憧れたあの人は、私とは真逆のものを持っている人だったということ。
人は「自分にはないもの」を持っている人に惹かれると耳にした時に、まさにその通りだと思った。
あの人はまるで「太陽」のように眩しく、周りを巻き込む「影響力」や「明るさ」があった。加えて「みんなとワイワイするのが好き」で「リーダー」としてみんなを引っ張っていくことも多かった。
対する私は「月」のように静かに周りを照らし、1人の話をじっくり聞く「傾聴力」や「冷静さ」があった。加えて「1人で過ごす時間が好き」で「補佐役」として誰かのサポートに回ることが多かった。
私が憧れて、なりたいと思ったあの人は真逆の世界にいる人で、私がどうあがいてもなれない人だったのだ。
だからもし、あの時にそれに気付いていたら、私はクラス代表に立候補したとしても、1人で突き進んだりしないだろう。
「忙しいのにごめんね、ありがとう」と言いながら、色んな人の助けを借りて、みんなと一緒に作り上げていくことを目指すだろう。
それがたとえ理想の脚本通りじゃなかったとしても。
それがたとえ3位という結果に繋がらなかったとしても。
「クラス代表」というキラキラした肩書きに惑わされず、「みんなの補佐役」として、私自身もサポートしてもらいながら自分の役割を全うしただろう。
だからもしもタイムマシーンがあったなら、もう一度ここに戻って、やり直したいなと思うこともある。
けれど同時に、この出来事があったからこそ、自分が生きる場所を知ることができたようにも思うのだ。
だから今、太陽なのに月を目指している人や、月なのに太陽を求められる職場にいる人などを見ると、あの頃の自分を見ているようで胸がぐっと苦しくなる。
頑張って、頑張って、仮に「見せかけの太陽」になれたとしても、見せかけは所詮「本物の太陽」には勝てない。
だから、なれないものになろうとする前に、自分を知ること、知った上で自分が生きる道を探すことが大事だと心から思うのだ。
太陽には太陽の、月には月の生きる場所がある。
そしてそれぞれが混ざり合ってこの社会ができている
あなたはどちらのタイプですか?
今の場所は自分を生かせる場所ですか?
あの頃の私みたいに、なれないものになろうともがいている人に届いたらいいなと思う。
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