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行きつ戻りつ、前に進む。

前回の投稿で「頭の中のおしゃべりを止めることができるようになった」と書きました。それなのに、またおしゃべりが始まってしまったのです。

noteを再開したことで、「次は何を書こうかな?」とか考え始めてしまったのが悪かったのかもしれません。

休日に「noteを書こう」と思い立って、PCの前に座ってから「何を書こうかな?」と考え始めるのがわたしの理想。

でも、わたしはひとつのことが気になりだすと、四六時中そのことばかり考えてしまいがちなのです。

この1週間は「次のnoteに何書こうかな?」と「仕事で必要な計画書」という2つのことが代わる代わる頭に浮かんで来ていました。

「あぁ、戻っちゃったのかな?」とちょっぴりがっかり。

でも、「一度止められたんだから、もう一度できるはず!」と繰り返し取り組み、一昨日くらいからまた止まりました。

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数週間前、おしゃべりが止まるきっかけとなることがありました。

「頭の中に浮かんでくる周囲の環境への不満」を何とか止めたいと取り組んでいたある日、突然、感謝の気持ちが湧き上がってきたのです。

それは、ある人への感謝の気持ち。

わたしはその人に対して、頻繁にイライラしていたのです。その人はわたしに意地悪をしている気は全くありません。ただ自分の思うがままに振る舞っているだけなのですが、わたしが「こうして欲しい」と思う逆へ逆へといってしまうのです。

そのため、わたしはその人と「できるだけ関わりたくない」「関わると気分が落ち込む」と感じていました。そして、ちょっぴり避けていました。

それなのに、その人は相変わらずわたしに関わろうとしてくるのです。「え?避けられてるのに?」とちょっとびっくり。「そんな鈍い人ではないのにな」と。

そんな疑問とイライラを抱えつつも、日々「おしゃべりを止める」作業に取り組んでいたら、フッと感謝がやってきたのです。

「わたしの気持ちはこんなにもドロドロでぐちゃぐちゃなのに、変わらずに接してくれてありがたい」って。


『可愛さ余って憎さ百倍』という言葉があるけど、もしかしたらその反対の現象もあるのかもしれません。「嫌だ、嫌だ」という感情も、煮詰まると突然、反転するということが。

そこからです。
少しずつ頭のおしゃべりが止まってきたのは。

何も考えない時間を作れるようになった。
おしゃべりが始まったのに気づいたら、自分の意志で止めることができるようになった。


こういった経緯があるので、わたしは小さな自信を持っていたのです。

「まだ完全におしゃべりが止まったわけじゃない。でも、あの感謝の気持ちを思い出せば、また止められる」って。


とは言え、まだまだトレーニングが必要ですね。noteの記事をひとつ書いただけで、逆戻りしてしまうんですから。

行きつ戻りつしながらも、少しずつ前に進めればいいかなと、最近は気楽に構えています。

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