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ドアの向こうへ vol.20

~由美子の父、浅枝崇~

「マスター、そろそろ帰ります。今日はいろんなお話を聞けて良かったです。ありがとうございました」
「ミルクティーもご馳走さまでした」と頭を下げた。
「どういたしまして、何だか俺ばかり話しちゃって、ごめんね」とマスターが言う。
「いいえ、そんなことないです、バイトの頃はこんなにじっくりお話できなかったから、大切なお話聞かせて頂き、ありがとうございました、また時間を見つけて来ます」
「いつでもおいで、待ってるよ、元気でね」
傍らで微笑んでる美樹へ
「じゃぁ、美樹さん、また、お会いしましょうね。お元気で」
ドアチャイムに見送られ喫茶ひまわりを後にした。

 帰りのバスに揺られながら、マスターの話を思い出していた。
マスターの前にも、奥さんの多恵さん来てくれていたんだ・・・マスターが悩んでいた時も、新しいことを始める時も、必ず。
すごいなと改めて、愛情の深さに関心した。  
 
 自宅へ帰ると父が母の写真の前で手を合わせていた。
「今日は、ありがとう、お父さん。気分転換できたよ。高校の頃バイトしていた、喫茶ひまわりへ行って来たんだ。マスターがいろいろなことを話してくれたの・・・・」
「そうか、良かった、良かった・・・」と振り返って笑ってくれた
「それでね・・・」

「ん?それで、どうした?」
「うん・・・行くときのバスの中でね・・・お母さんと逢えたの」
「おぉ・・・そう、それは良かったね、お母さん元気だったかってのは、おかしいけど、どうしてた?」とまた、笑っている。
「いつもの、優しいお母さんで、お父さんとの初デイトの事、聞いちゃった・・」
「え?清子そんな事も話したのか、あはは」
と照れている。

「お母さんが、落語好きだったことは、知らなかった・・・それと、お父さんが、咄家になりたかったことも、知っていたよ」
「そうか、まぁ、そうだよな、言わなかったけど、デートはほとんど寄席通いだったからなぁ・・・」と、懐かしむ顔をした。
「ほんとに、おどろいちゃった、見守ってくれているんだなって実感しちゃった」と言うと
「良かったね、俺の前には来てくれないけど、夢は見るなぁ。いつも寄席に二人で座っていて、由美子は元気かしらなんて言っているし、別の日の夢でも二人で由美子の噺を観にいったりしているんだ」
「そうなんだ、お母さんすごいな」
「そうだね、夢だから自分で作り上げているかもしれないけど、そうだとばかりは言えないこともあるね」と父が言う。
私は隣に座って、改めて母の写真へ手を併せ、
お母さん、ありがとう。お父さんも寂しそうだけど、私がいるから、大丈夫よ・・・ちょっと、頼りないかもしれないけど、任せてねと、心でそっと話しかけた。
 
 次の日の土曜日、朝食を済ませて片付けも一段落して、2階の自室で噺の稽古をしていると
「由美子、ちょっと見てくれないかな」と父が下で呼んでいる。
「はぁい、今、行く」何だろう・・・
「これなんだけどさ・・・」

母が生前着ていた、洋服を何着か抱えている。
「まだ、こっちにもたくさんあるんだけど、由美子が着られるのが、あったらとそのままにしていたんだ」
そうか、そうだよね・・・母のクローゼットへ入る。たくさんの洋服が下げられてあった。
「あ、このカーディガン・・・」
バスで会った時にも羽織っていた桜色のカーディガンだ。

「着てごらん」と父が声をかけてくれた。
袖を通してみたらサイズがぴったりだった。
「おぉ、清子にそっくりだよ」と父が目を細めて私を見ている。
ふり返って鏡の中の自分を見てみる。確かに母にそっくりだ。自分でも驚いた。

「サイズが合って、着られそうなものは、由美子にあげるからね」
「うん、ありがとう、お父さん」
「お母さん、大切に着るね・・・」
そのあと、何着か試着しては、父に見せて時間を過ごした。

 お昼を済ませたあと父が
「由美子、こんなのあるんだぜ」
と、父が書斎から木製の木箱を抱えてきた。
「何が入っているの」
「開けてごらん」

それは上方落語の第一人者、桂米朝の噺を収録したDVDのセットだった。
全部で30巻ほどある。
「なかなか、観る機会がない上方の落語だったし、米朝が好きだったから思わず大人買いをしちゃった」と嬉しそうに父が言った。
「全部観たの、お父さんは」
「それがさ、全く観ていない、いつかいつかってうちに、すっかり埃が被ってしまってさ。お母さんの物を片付けしていたら、押し入れの棚の奥にあったのを見つけてさ」と苦笑いして
「それで、このDVD、由美子が観るならあげようかと、貰ってくれたら嬉しいなと・・・」と言ってくれた。

「いいの?上方の落語に触れる機会が少ないから、ありがとう、お父さん」
「そうか、貰ってくれるか」
うん、良かった良かったと満足そうに言って
「もう少し、こっちを片付けたら、お茶にしような」
「コーヒーぐらいは淹れられるから」と言って笑っている。
 そういえば、父が台所へ立つ姿は今まで見たことがなかった。この半年間どうしていたんだろう?
台所周りは綺麗に片付いていたし、冷蔵庫の中だって、賞味期限切れの物もなかった。お料理出来るのかなぁ・・・後で聞いてみよう。

 自室へ戻って、貰ったばかりのDVDの1枚を取り出して、ノートパソコンへ差し込んだ。
馴染みの薄い演目が並んでいる
う~ん、どれにしようかなぁ・・・
【百年目】、よし、これにしよう。
出囃子は耳馴染みがない曲だった。DVDを一度停止させて調べてみる。
【桂米朝+出囃子】と検索窓へ打ち込むと、瞬時に画面が変わり、桂米朝・出囃子【三下がり鞨鼓】さんさがりかっこ、と読むらしい。
なるほど・・・検索画面を閉じ、DVDを再生させる。
人間国宝と呼ばれている人物の噺は素晴らしいという表現では足りないほどだった。夢中になって次の1枚、また次のまたまた次と。  
父が呼んでいる声で我に返った。それほど米朝の噺にのめり込んでしまっていた。
 
 居間へ入るとコーヒーカップがふたつ、いい香りが漂っている。
「お父さん、すごいんだね、桂米朝師匠って。名前は聞いたこともあったし、何度かは聞いたり観たりしていたけど、じっくり観たのは初めてだったから・・・夢中になっちゃった」とコーヒーを一口飲んだ。
「美味しいね、お父さん」
「ははは・・・そうか、DVD気に入ってもらって良かった、今後の由美子の噺への参考になれば良いね」

「うん、ありがとう、これは、何の豆」
二口目を飲みながら聞くと、
「これは、コロンビア、酸味とやわらかい苦みのバランスが良くて、清子も好きな豆だったんだ」、ふと見ると、母の写真の前にもカップが置いてあった。
「ふ~ん、コロンビアって言うんだ・・・ところで、お父さんお料理どうしてたの」
「おぉ、それね、清子に頼りっぱなしだったから、最初は、外食ばかりだったけど」と父はコロンビアを一口飲んでから、
「それじゃ持たないから、帰りに出来合いのものを買ったりして何とかやっていたよ。ご飯は炊飯器があるし、電子レンジでチンするだけで温めたら出来ちゃうし」そして、と言って、タブレットの画面に触れて
「ほら、こんなのもあるし」
と料理のレシピサイトを見せてくれた。

「男の一人暮らしでも、とっても便利なツールやグッズがたくさんあるから心配ないよ」と言って笑った。
「そうなの?、無理してない?」と顔を覗き込む。
「大丈夫だって、頼りないかもしれないけど何とかなっているから」とまた笑った。
そうか、この1週間は、私が支度していたから、父は台所に立たなかっただけだったのか、心配だけど、離れて暮らしているのだから仕方のないことだと思うことにした。

帰省して今夜は父と過ごす最後の夜だ
「今夜は何食べたい?」と聞いてみた。
「おぉ、鍋なんかいいね・・・あれ、由美子は、お酒は飲めるようになったんだっけ」
「少しは飲めるよ、師匠や兄弟子たちに誘われて、でも、日本酒しか飲めないけど」
「おぉ・・・そうなの、流石咄家って感じだ、日本酒ってのが、こりゃまた、粋でございますな・・・・日本酒に鍋ってことは、湯豆腐なんざどうでしょうね、お嬢さん」と咄家口調になっている。
「お父さん、何だか変」と言うと
母の写真の前のカップのコーヒーが小さく揺れている、まるで一緒に笑っているように見え、父と顔を合わせ3人で笑った。

《続く》

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