見出し画像

ドアの向こうへ vol.21

~父と娘とお酒~

「さぁ出来た」お父さんを呼んで来よっと、
片付けしている和室の襖が少し開いていた。
お父さん・・・と呼ぼうとした時、父の背中が震えているのが分かった。
畳の上にアルバムが何冊も広げてあるのが見えた・・・
母との写真を見て、父は泣いているのだろうか・・・
そのまま声をかけずにそっと居間へ戻った。
急に寂しくなってしまう、無性に逢いたくなってしまう、でもどんなに望んでも、叶わない現実になすすべもなく、ただ悲しみに覆われてしまう・・・これが最愛の人を失くした者の宿命なのだろう。

母の写真へ語り掛けた。
「お母さん、逢いたいね、お父さん、我慢しているんだね。私の前では、涙は見せないように・・・」私も涙で写真がぼやけてしまった。
 少ししてから廊下で声をかけた
「お父さん、食べよう・・・」
「お。できたか・・・今行く・・・」
「ホイホイ、お待たせ」と笑いながら居間へ入って来た。
「お、うまそうな、出汁がでてるんじゃないか?」と湯豆腐鍋を覗いて座った。
「ハイ、お父さん、どうぞ」と日本酒の徳利を傾ける。
「おぉ・・・いいね、いいね、今夜は娘と熱燗でと」都々逸みたいに唸っている。
「じゃ、由美子も」と父が今度はお酌をしてくれる。
なんとなく照れ臭くて嬉しかった。
「じゃぁ、乾杯」と二人で言って、母の写真へもおちょこを掲げた。

「んーー、美味いね。娘と飲むと、なおの事」と笑っている。
「お父さんとこうやって、お酒飲む日が来るなんて、何だか不思議・・・」と言うと、
「そうだね、由美子が大人になったってことだね」
「大人かぁ・・・」自覚はなかった。
 高校出て師匠の所で修行の日々だったから、成人式へも行かなかったし、遊びに出かけることもしなかった、師匠の采配でお酒の席へ出向いたこともあったが、お酒の味などはさっぱりわからなかった。でも、今夜こうやって、父と一緒にお酒を飲んで、苦さや、美味さの中へ心の様を映しながら味わうのがお酒なんだろうと、少しだけ分かった気がした。

「ほら、由美子、お豆腐、煮えすぎちゃうぞ」
「おっと、そうでした」
と言ってから
「今夜のたれは、こちらがめんつゆ、そしてもう一つは定番のポン酢でございます。お好みでどうぞ」と専門店風に気取って言ってみた。すると父が、
「待てど煮えない湯豆腐へ、来ぬ(絹)ならごめん(木綿)と誰(たれ)が言う・・・何てね」って言って探るように私を見た
「・・・・あ、シャレか・・・」
「そうだ、お父さんは、大学時代に落研に入っていたんだよね?」と聞いてみた。
「そうだよ、ずっと落語をやってみたかったからすぐに入会したんだけど、部活の良くある、それぞれの温度差って言うのかな・・・」
「温度差?」と聞き返す。
「うん、噺をじっくりと掘り下げて演じてみたいヤツと、噺家のうわべだけを真似をして受けをねらうヤツ、など色んな考え方で一緒にいるわけ、だから、しばらくすると、食い違いが生まれちゃってさ」
「そして、稽古には来ない、自分のひいきの咄家の自慢ばかりしてヤツが、大学2年の時の落研主催のライブの後の打ち上げで、そのそいつが、他のメンバーへダメだしばかりする、そのくせ、そいつの噺ときたら全く冴えない。新作をやってるつもりだろうが、誰かの噺の良いとこ取りのつなぎ合わせ、君は新作をやるレベルじゃないと誰かが言い返したら、あろうことかそいつは、俺の噺は○○師匠直伝だとかなって、そんな筈があるもんかと、つかみ合いの喧嘩になっちゃって、結局、落研は解散」

おちょこが空になっていたので、お酌をする
「お、ありがと、由美子も・・・」
「解散してもうそれっきりだったの落語」と聞き返す。
「落語は好きなのは変わらないし、噺家になりたい大胆な野望もあったから、寄席通いはしていたんだ」
「ね、清子・・・」と言って写真へ微笑んだ
「そうそう、お母さんがデートは寄席通いって言ってたよ」私は母との出会いを聞きたかった。
「大学3年になってすぐの春だったかな、鍵本演芸場へ俺の大好きな三代目古今亭志ん朝が出演するって聞いたもんだから、ダメもとでお母さんのことを誘って、観に行ったんだ」
「そして並んでる時に・・・」と、父は、おちょこを空にして、
ホットウイスキーへお酒を替えた。

湯気が少し立ち上がるグラスを見ながら、
「その時に、浅枝くんって呼びかけられちゃって
俺はさ、清子は来ないだろうと思っていたから正直驚いたわけ」
グラスをもって一口飲んでから、
「だから俺の顔を見て、そんなに、驚かないでよって俺の肩をポンって叩くわけさ、その仕草へもドキドキしちゃって」と照れている。
「お父さん、純情だったんだ」と思わず声がでた。
「そうだね、だから、来てくれてありがとうって言うのがやっとでさ」
グイっとまたホットウイスキーを飲む。
「すると清子が、三代目古今亭も好きだからって、【も】って意味深なことも言うから、何だかもうソワソワしちゃってさ」
「もう、お父さんたら」と笑ってしまう。
「そう、中学生のころから、ずっと落語ばかりやっていたから、それ以外の事、特に女性との付き合い方なんて、どうしたらいいのか、わからなかったんだ」と両手を開いて大げさに言った。

「ふふふ・・・じゃぁ演目も随分覚えたの?」
「良くぞ聞いてくれました。これが、悲しいかな全く覚えられなくて、好きならイケると思ったのが甘かった・・・能力のなさに愕然としたよ」
器の中の湯豆腐も父の話を聞いている。
「落研は解散したけど、そん時の仲間5人で勉強会なんて半年に1回位のペースでやったりしてたんだ。その中に柿崎というヤツがいて、彼はほとんど練習しないヤツだったけど、何となくウマが合ってさ」と一口飲んで話を続ける。
「柿崎はさ、何度か噺を聞くと、覚えてしまうすごいヤツだった・・・これには参った・・・」
「そうなの、すごいね、その人」鍋の中の、ふた切れほどの豆腐を父の器へ入れようとしたら
「おぉ、俺はもういいから、由美子、食べな」と言って話を続ける。

「その残り4人の俺たちは、ラジオ寄席からカセットテープへ録音した噺を、何度も何度も、繰り返し、すり切れるほど聞いて、それを文字に起こし、台本を作って、ボロボロになるまで、練習しても、なかなか覚えられない・・・」グラスを持ったまま話している。
「勉強会当日の間際まで、台本とにらめっこしているのに、柿崎は」と、ここで、一口飲んでから
「いつも、本番15分ぐらい前に会場へ現れて、しかも、観に来てくれた、お客さんやファンと、おしゃべりしている余裕まで持ち合わせているんだ。当然出番はトリで、その本番も素晴らしかった」
と思い出して、もう一口飲む。
「で、大学3年の最後の勉強会が終わって、反省会で柿崎に聞いたんだ。卒業したら落語家になるんだよなって、そしたら、柿崎ったら、将来は家業を継いで社長になるから、そっちへは行かないって、あっさり言うんだよ」
「ふ~ん、出来る人って違うのか・・・」
「うん、それを、聞いたら何だか拍子抜けしちゃって、そうか、もう落語は、聞くだけ観るだけにしようって、落語家になるの諦めたんだよ」

「大学4年になり、いつものように清子と寄席へ言った時、卒業したらどうするなんて話したけど、落語家を諦めたことは伝えなかったんだ、そして柿崎って凄いよな、才能があるのに落語家にならないなんて、なんて話もしていた」
「清子も柿崎の凄さも知っていたから、清子は柿崎の事が好きだと勝手に俺は思っていたんだ」
「あれ?鍵本で逢ってからは、寄席に何度も誘って通っていたんでしょ」
「あぁ、でも、噺も上手くない俺はまったくダメだと思っていた、だから、なんで俺なんかと寄席へ行くのか不思議だった」
「あらら・・・お父さんそれは、鈍感過ぎるう~~」とおどけて言う。
「まったく、その通り・・・」すまん、すまんとまたまた、写真へ謝っている。
カタリと写真立てが鳴った。

「4年生最後のクリスマスに、お母さんが、卒業したら私、浅枝くんのお嫁さんになってあげるって、突然言い出して驚いたんだ」
「えぇ~、お母さんやるね」
「俺、母は早く亡くしていたし、親父も3年生の時に亡くして、独り身だったから頼りなく見えたんだろうね、俺の事・・・」
そう言えば、父の祖父母の話を聞いたことがなかった気がする。今、都内で私が住んでるあの家に一人でいたわけか・・・

「それで、卒業と同時にお母さんは家へやって来たわけ、押しかけ女房ってやつだね」
「えーそうだったの、お母さんの実家は、許してくれたの?」
「お母さんの実家は下町で八百屋をやっていて、このお母さんが、気風の良いお母さんでさ、挨拶に行ったら、清子が決めたんならいいじゃないかって、言ってくれて、しかも、何もしてあげられないからって、野菜をリヤカーいっぱい山積みに用意してくれて、これが嫁入り道具変わりだってね」
「江戸っ子って感じだね」
「その、娘の清子さんだもの、度胸が座っていたね」
「結婚して、由美子が生まれるまで、通っていた大学内の購買部で働いてくれてさ」
「そのころ、俺は就職浪人中で、何せ途中までは咄家なるつもりだったから、全く就職活動などしていなくて、何とかなるさ状態だったからね」
「清子ほんと、ありがとうね」と写真を見て言う。
ちょっと、しんみりしてしまった。
壁の時計の音だけが響いていた。

《続く》


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?